2009年11月2(月)
YouTubeは宝の蔵だという意味のことを以前ここで書いた記憶があるが、いつのまにか自分でもそれを忘れてしまい、何かの拍子にまたハタと宝に出くわし、あらためて驚喜することになる。
スビャトスラフ・リヒテル。
トンボ十代の後半にもっとも感応したピアニスト。
何枚ものレコードのみならず、伝記本や写真集まで持っていた。
その演奏のダイナミックと繊細の共存は、若き極楽トンボの心を深く捉え、時空を超えた世界へ何度も連れていってくれた。
我が若き日の音楽の旅を案内し、彩ってくれた「格別のオジサン」的存在だ。
きのうネット中に、ふとしたきっかけで、ああそういえばリヒテルの演奏もあるだろうなと思い、YouTube検索したら、あったあった、いくらでもあった(^^)。
ショパンのバラードや、バッハのプレリュード、べートーベンからラベルまで、よりどりみどりだ。
さっそく、その中のいくつかを聴いてみた。
たちまち、昔年の感触が蘇った。
壮麗な宮殿の傍らに、繊細で美しい小川が流れている。
『やはり、モノが違う』
近年、トンボが桁外れにスグレた人や作品を評するときの常用フレーズが脳裡に浮かんだ。
モノが違うのだ。
トンボの耳には古今の様々な天才的ピアニストたちとも決定的に違う何かが、感じられる。
その「何か」とは何か。(^^)
白洲正子は、小林秀雄や青山二郎にしごかれていた時に、「一番言いたいことは、決して書いてはいけない」と教わったそうだ。
一番言いたいところであえて黙っていると、人はそれを「感じる」ものだ、と言われたらしい。
いかにも、らしい(笑)
この禅問答的コンセプトが小林や青山の世界の真骨頂だ。
「何かを語ろうとする衝動を抑えがたく、しかも、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ」
『モオツアルト』の中で、小林秀雄はそう書いた。
それに倣って・・・
リヒテルの「何か」は、あえて書かないでおこう(笑)。