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とるトンボ

Author:とるトンボ
太陽系第三惑星のニッポン国・九州アイランドの中央付近に生息する極楽トンボな男。

地球生活半世紀を過ぎても、なかなかこの地の文化になじめず、周囲から「カワッテル」と評される自分の感覚を、ブログで発信してみようと思いたつ。
だから、地球生活の「当方」見聞録(^^)

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極楽の直観 「日常に潜む宝」

2009年9月30(水)    

高岡英夫メソッドの研究と実践に本気で取り組み始めて約半年。

人の意識とカラダに秘められている可能性と潜在力を体感・実感する日々。

そんな中、繰り返し繰り返しやってくる直観がある。

今日は、それを書き留めておきたい。

それは、おおよそ以下のごときものです。

息をする。
立つ。
歩く。
走る。
水を飲む。
ものを食べる。
言葉を発する。
文字を書く。
思い浮かべる。

特殊な状況に無い限り、人がごくふつうに、ほとんど無意識のうちに毎日行なっているこのようなごく基本的な行為、動作の中にこそ、実はヒトを飛躍的に進化させる可能性の扉が秘められている。

というものです。

それらの行為を成立させているメカニズムと原理を知り、それに順う「正しいやり方」を意識的にトレーニングし実践することによって、誰もが自分の中に潜在している能力と可能性を大きく開花させることができる。

このような直観が、このところトンボの中で、ほぼ確信に近いものに育っています。

もちろん高岡英夫氏の研究と実践成果に大きな示唆を受けて生じてきた認識です。

これは、人に大きな希望を与える話ではないでしょうか。

資源や情報を外に外に求めてきた現代人。

もはや地球の資源も、増殖し続ける情報も、その極点に達した感があります。

そんな中、他ならぬ自分のカラダや意識こそが、汲めども尽きぬ可能性や情報の宝庫であったという発見は、多くの人々の人生やこの世界に対する見方や認識を一変させる力を持っています。

まさに「からだには希望がある」です。

どの著書であったか記憶がサダカではないのですが、高岡氏が自分の中に「センター」と呼ばれる身体意識を確立してから、毎日が「壮烈な快感」に包まれるようになったと書いていました。

毎日が「壮烈な快感」に包まれる。

この「壮烈」という言葉の使い方に、極楽トンボは、高岡氏の掛け値無しの実感と、それを人になんとか伝えたい熱情を直感しました。

「壮烈な快感に包まれる毎日。」

それは、いってみれば、何を見ても聴いても触れてもウレシイという赤ん坊や幼児の感覚に近いかもしれません。

今ここに存在している、生きていることそのものが嬉しくて楽しくって仕方がない、という状態。

誰もが、ここから人生を出発したのに、多くのことを身につけ経験するうちに、いつのまにか忘れ去ってしまった感覚。

大人になるということは、多くのヨロイを身にまとい、カラダを固め、たくさんの制限と不自由の中で生きるということ。

何事も素直に喜べない自分になる、ということ。

いつの間にか、こんなことになってしまっているのではないでしょうか。

しかし、それを決めるのは他ならぬ自分自身であるということを肝に銘じておく必要があります。

人や社会のせいにしているうちは、まだ自分自身の思いこみの奴隷なのです。

いついかなる時も決めるのは自分自身。

自分で決めないことを決めるのも自分自身(笑)。

カラダをゆるめ、動き出すことによって見えてくるものがある。

カラダの中を感じる練習をすることによって分かってくることがある。

カラダを意識することによってヨミガエッてくる喜びがある。

長かったような短かったような彷徨の末に、赤ん坊に帰る稽古を始めた脳天気極楽トンボ。

ヤッパリ、ワタシッテ、ヘンジンナノカシラ・・・。


極楽のよぎりごと 「大元の願い」

2009年9月29(火)   

自分の果たせなかった夢を子供に押しつけようとする親。

この世でやり残した(と思いこんでいる)事を、生きている人間にかかってやらせようとする霊。

なんか似てるよな、構図が。

まさにこの世は、次元を超えた世界の雛形がゴロゴロしているところ。

自分ができないことを自分以外の者を使ってやらせようとする心的エネルギー。

それは、しばしば「支配欲」や「エゴ」と呼ばれる。

なぜか人は、それをあまりウツクしく感じないようプログラムされている。

おそらくそのあり方が、大元の意識(しばしば創造主や神と呼ばれる)の意図に反しているからだ。

意識や肉体を与えられている限りは、それを存分に活用して、自分で喜びや楽しみを創り出しなさい、というのが大元の願いのような気がする。

山村で一人暮らしをしながら、身の回りのことを自分でやり、淡々と日々を送る老人の姿を、近年よくテレビのドキュメントなどで目にする。

いたずらな欲もなければ、都市部で暮らす子供達への恨みもつらみもない。

ただ身近な自然と折り合いをつけながら、日々の暮らしそのものを楽しんでいる。

その笑顔は屈託が無く、とてもナチュラルだ。

こういうあり方を見るときにワレラが感じる一種の潔さやウツクシサは、大元の願いとおそらく直結している。

与えられた身の丈に合ったところで、自分の生を存分に楽しみなさい。

それを悦び、感謝しなさい。

大元はそう願っているような気がする。

与えられた生への感謝こそが、大元にとっての最高の悦びなのかもしれない。



極楽レポート 「走れヘンジン」

2009年9月28(月)  

スロウジョギングとウォーキング。

速度はほとんど変わらないのにカラダへの運動的負荷はずいぶん違いがある。

体感ではスロウジョギングの方が3〜4倍くらい心肺への負荷が高い気がする。

足でカラダを移動させる似たような運動なのにこの違いが興味深い。

どうしてこんなに違うのだろうか?

走りながら考えた。

やがて、答えが足下の方からやってきた。

ジョギングの方には、軽いタンブリングの運動が入ってるんだな。

片足ずつで軽いジャンプを繰り返しながらカラダを移動させているのだ。

ゆっくり動いているようでも、ジョグの時は一瞬全体重を片足にのせて小さくタンブリングしているのだ。

これがウォーキングとの最大の違いだ。

これが、心肺機能トレーニングとしての大きな運動効果を生み出しているのだ。

トンボちゃん、ナットク。

賢人(ヘンジン)は、走りながら考える。


極楽観察録 「立ち会い」

2009年9月27(日)  

大相撲秋場所、横綱朝青龍が二十四回目の優勝。

直後のガッツポーズが物議をかもす。

これが朝青龍なのだ。

ちょっとヤンチャでお行儀の悪い横綱を大目に見る度量が欲しいね。

それにしても本割りで勝利した横綱白鵬の立ち会いの当たりが凄かった。

子供の頃から相撲を見ているが、これほど印象に残る目の覚めるような立ち会いは初めてだった。

白鵬の気魄が斜め45度上方に突き上げる身体意識のベクトルとなって朝青龍を突き飛ばした。

これを見ることができたのが、トンボにとっては本日一番の収穫だった。

と思っていたら、夕食時にニュースでこの一番を見た相棒が珍しく相撲に反応してつぶやいた。

「凄い立ち会いだね・・・」

このお方は不案内の分野のことでも肝心要だけはワッシとつかむ特技がある(笑)。

メオトシンクロニシティーか(^^)


極楽感想 「ニッポンのコトタマ」

2009年9月26(土)  

鳩山由紀夫首相の今回訪米における発言。

「日中の違いを認めながら、違いを乗り越えて信頼を築き、それを軸に東アジア共同体を構築したい。」

「私は日本が再び「架け橋」の役割を果たさんと高らかに宣言したい。東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間で架け橋となるべく全力を尽くす。」

「自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重し、他人の自由と人格をも尊重する」

「われわれは核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ。唯一の被爆国としてわが国が果たす道義的な責任だ。日本は核廃絶に向けて先頭に立たなければならない」



日本の総理大臣が世界の檜舞台で、人類全体を視野において、これだけ高い理念にもとづくコトタマを堂々と発信したのは、少なくともトンボが知る限り他に記憶はない。

素直に拍手を贈りたい。

トンボの観点からいえば、政権交代よりもはるかに大きな出来事だ。

発言内容に関しては、今後マスコミを中心に様々な足引っ張りや、ワケシリ顔の否定的コメントも続出するだろうが、ナニ、気にするこたあない。

高い理念のコトタマを、世界注視の中で堂々と発信するのは明確な信念と度胸が要る。

少々ひ弱なボンボンの印象があった鳩山由紀夫は、どうして、大したセンターとハラ(あ、これ高岡英夫メソッドの概念と用語です、アシカラズ)の持ち主であることを証明してくれた。

これからが楽しみだ。

低劣マスコミとコメンテーターどもの、ゲンジツテキカンテンからのヒハンなどは弾き飛ばして、堂々と高理念の王道を進んでいただきたい。

それにしても、

これまで約半世紀以上の自民党政治とその主役達が、急速に色あせて見えてきたのは、なんとも気の毒というか、時代の流れというか・・・(^^)


極楽妄言 「がんだむ」

2009年9月25(金)   

カラダを張って、日銭を稼ぐ。

これぞ、オトコの生きる道。

むははははははははは。

(アイカワラズ、トートツニ、ナニヲイッテオルノダ、コノオトコハ・・・・、アホカ)


極楽放言 「無料化の極地」

2009年9月24(木)  

いっそのこと、何もかもすべて「無料化」を目指したらどうだろう。

駄目?


極楽の質問 「鳩山シンドローム」

2009年9月23(水)   

精神世界系の情報では、ほとんど定説のようなものとして、戦争と競争にあけくれる世界の物質文明はやがて行き詰まり、大きな変動の暁には、日本が日本人が世界のリーダーシップをとりながら平和と調和の世界を構築していく、というものがありました。

今回の政権交代や、就任後初訪米における鳩山首相の国連演説や幸夫人の一連の言動は、その具現化の兆候とみてよろしいのでしょうか。

極楽トンボがかねてより念願していた「善意と良心にもとづく世界構築」の萌芽とみてもよろしいもんでしょうか。


極楽寸感録

2009年9月22(火)  

○水は水であってただの水ではない。

○伊勢谷友介演じる白洲次郎にはタマシイがこもっている。

○ほとんどの現代人にとって「自分のカラダ」こそが、最大の灯台もと暗し。

○今場所の朝青龍は殺気が漲っている。何かにイカッテいる。

○たいていのカラダの不調はほとんどタダで自分で解決できるという事実が知れ渡ったら、経済界は大打撃だわな。

○新型インフルエンザワクチン、あたしゃあ、要りませんので。
あしからず。

○しょっぱなから猛威をふるう民主党新政権。
威勢がいいのはイイけど、官僚を上手に呑みこんで活用するようにした方がよりカシコイと思うけどなあ〜。対立構造は、結局シアワセを生まない。

○キーボードでメジャーセブンスコードを押さえていると、ときおり胸の中にシアワセ感が漂ってくる。

○丁寧に文字を書いていると、やがて心が静かに澄んでくるような気がするのはなぜか。

○「東アジア共同体」か。
その真の目的と具体的な実現シーンとは、どんなものなんでしょうな。
まあ、いずれにしても「仲良き」ことは、イイコトです。裏さえなければ。

○白洲正子、いいですねえ〜。
でも、身近に接していろいろと教わりたいのは幸田文の方だな。

○心遣い、身体使い、言葉づかいを教える学校をつくればいいよな。


極楽報告 「ノーテンキの道半ば」

2009年9月21(月)    

本日、極楽トンボの今回地球上における52回目の生誕記念日。

人生五十年といわれた時代ならば、そろそろお迎えの頃合いだ。

しかしながらはばかりながら、わがココロまだ青々としている。

アホアホとしていると言うムキもあるかもしれない。

ゆる体操のお陰か、呼吸法や「時の水」のお陰か、カラダの方も元気にみずみずしく、ああ、だいぶ衰えたなあ、トシとったなあ、という自覚などまったくといっていいほど無い。

とてもじゃないが、酸いも甘いも噛み分けた中年のオジサマの心境や体調とはほど遠い。

知らないことだらけだし、面白いこと不思議なことには事欠かないし、やってみたいことが次々に出てくるし、行ってみたいところはいっぱいあるし、かつての定年の年齢を目前にして、落ち着いたり、枯れたりしている場合ではナイヨというのが正直な実感です。

というよりも、これからが我が人生の本番であり正念場であるという感覚がハッキリあるんですね、これが。

あれよあれよという間に、「人生百年時代」になっているので、あながちこれは脳天気極楽トンボ特有の心境ではないような気もするのです。

まさに、未だ道半ば。

極楽整体を生業としながら、高岡英夫メソッド実験三昧の日々。

さあこれから、有り難くも天地から与えられた「イシキとカラダ」をどうしてくれようか、と腕撫すノーテンキ極楽トンボ。

これからですよ、これから。

ムヒヒヒヒ。


極楽感懐 「帰還者」

2009年9月20(日)  

レンタルDVDで映画「クライマーズハイ」を見る。

その事故直後の現場描写に接するうちに、いろんな記憶がよみがえる。

何事も、

体験したものにしか、わからないことがある。

その現場に身をおいたものにしか、わからないことがある。

それは、

過不足無く正確に言葉にすることなどできない。

現場の体験のリアルは、言葉を超えて、その存在のすべてを震撼させる。

言葉を失う。

すべてが光り、白くなる。

血は凍り、首も腕も脚も腰もすべてが脱力し、機能を失う。

それは、一つの死のようなもの。

時間が止まり、周囲は無意味なものになる。

そして、

そこから帰ってきたものは、

何を語ろうとするのか。


極楽独白 「おいおい、まだ言うか」

2009年9月19(土) 

金融資本主義そのものが終焉を迎えているのだから、いつまでも「経済成長」や「景気回復」という過去の遺物のようなお題目を唱えることはやめた方がいいっス。

経済や景気の右肩上がりというものを至上命題とする囚われが、どのような世界を生みだしたのか、他ならぬ日本やアメリカがここ百年ばかりイヤというほど体験してきたではないですか。

これからは、

空気が吸えるだけでウレシイわん!

生きていることだけでシアワセよん!

家族や仲間がいれば十分よん!

という人たちの世界になるのです。

他ならぬあのナザレ生まれのコトタマヌシが、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と、二千年も前に教えているのに。

聞こえても聞いていない、見ても見えていない。

性懲り無しの欲呆け街道。

そーなんだー、こーなんだー、なんまんだー・・・


極楽の告白 「ユルムンデス」

2009年9月18(金)   

齢五十を過ぎて、やっと自分の本来の志向を自覚し始めた極楽トンボ。

呑気というか、ワタクシらしいというか、さすがやはり脳天気である。(^^)

結局、ワタシは「意識」と「カラダ」と「言葉」の真相にもっとも興味があり、自らの体験と実感を通して、その仕組みと法則を知りたいというのが最大の願いのようです。

この三位一体に関して、少なくともワタシの知る限りもっとも優れた研究と実践を展開し続けているのが運動科学総合研究所を主宰する高岡英夫氏です。

つまりワタシがもっとも知りたいことを研究し実践し開発し、その成果を詳細に書き記しているお方ということになります。

トンボは毎日それを精読しながら、自らのイシキとカラダで、そのメソッドを実験しているのでございます。

三日後に五十二回目の誕生日を迎えるオジサンが、本に書いてあることにしたがって、子供のように夢中になりながら、カラダをゆらしたり、くねらせたりしているわけであります。

はたから見れば相当アヤシイ姿でしょう(笑)。

そばに生活する相棒はそんな姿を見て、ときおりたまりかねたように吹き出しております。

イインデス、笑わば笑え。

あたしゃあ、自分の好きなことをやるんです。

だれにも遠慮はしないんです。

ゆするんです。

ゆれるんです。

ゆるむんです。

ゆるる、ゆるる、ゆるる。

 極楽のため息 「鏡よ鏡、醜いのは誰だえ?」

2009年9月17(木)  

薬物に手を染めた一女性タレントの保釈をめぐってマスコミをあげての大騒ぎ。

「世間を騒がせた」から。

そして、その謝り方が悪いといってナンクセいちゃもんをつける。

ここにも蔓延しているイジメと独善の構造。

勝手に騒いで、勝手にイカッて、相も変わらぬ平成狂騒曲。

女性タレントに群がり騒ぎ吊し上げる自分たちの姿を鏡に映してみたらどんな気分になるのだろう。


極楽感想 「日本の船出」

2009年9月16(水)    

鳩山首相誕生。
民主党中心三党連立新内閣発足。

鳩山新首相の初記者会見の冒頭のスピーチがなかなかよかった。
官僚支配を廃し、真の国民主権の政治を実現させることにイノチをかける覚悟が画面から伝わってきた。

自民党の批判悪口の専門家と思っていた自分の不明を恥じなければ(^^)。

相変わらずの低レベルマスコミ記者の、聞かずもがなの愚問にも、丁寧に誠実にそつなく答えていた。
答弁になっていない答弁を得意としたコイズミさんとはだいぶ違う。
しょっちゅう言葉を間違えていた元総理ともかなり違う。

振り返れば、日本が、見識をきちんと表現できる言語能力と知性をもった人物を首相に戴くのはずいぶん久しぶりのことではなかろうか。

菅、岡田、藤井、平野といった新閣僚もマニフェストに従ってその実現を推し進めていく覚悟を毅然とした態度で語っていた。

特に、子育て支援への「バラマキ批判」に対して一刀両断のごとく反論し、官庁営繕不要を強調した藤井新財務大臣は、この人が自民党の元大蔵大臣を務めた人とはとても思えなかった(笑)。

総じて新閣僚の言葉は、明快で分かりやすく、毅然としていた。

ほとんど期待していなかったが、民主党はどうも「本気」だと感じた。

本当にこれからの日本が大きく変わるかもしれない。
そう思わせるものがあった。

「脱・官僚支配」というコトタマをこれだけ連発し強調すれば、多くの人々の意識に浸透し、その実現に向かって事態が動き始める。

覆面をかぶった「お代官様」の霞ヶ関が、これから陰湿なイヤガラセや意地悪を始めるだろうが、国民注視という光の中で、そうそう無茶ができるはずもない。

大丈夫、すべてがうまくいっている。

極楽寸感録

2009年9月15(火) 

<イチロー>
すごいねえ、九年連続200本安打、大リーグ新記録。
今や、押しも押されぬ日本を代表する英雄だ。
まず常人では体験できない賞賛と羨望に包まれる一人の若者。
周囲の大騒ぎをクールにいなしながら、本人のイシキとカラダの世界では、当人だけにしか分からないワンダーランドが展開されているのだろう。
それにしても・・・。
熱狂し拍手喝采する人々の中で、自分の中のワンダーランドの可能性に気づいている人はどれくらいいるのだろう。
すぐ、こんなことを思ってしまうアマノジャッキー極楽トンボ(笑)。

<市場の快楽>
今度の我が家は、熊本の台所と言われる「田崎市場」まで歩いても十五分のところにある。
東京で言えば「築地」ですね。
先日、休日が一致した相棒をともない、かねてから念願だった市場食堂のブランチを楽しんだ。
海鮮丼定食が絶品。
新鮮なウニ、エビ、イクラ、刺身がてんこ盛りになったスグレモノ。
おつまみで頼んだマグロのさく揚げも絶品。
お店のオネエサンも笑顔満載、ふれんどりい、あんど、あっとほーむ。
休日解禁の昼ビールもすすむ、ススム(^^)。
営業時間は午前四時から午後三時まで。(サスガ!)
いやあ〜期待した以上の美味世界だった。
トーキョーのSさん、ご来熊の節は、お連れしまっせ。(笑)

<満足の源>
ほとんどの人が淋しいのだ。
ほとんどの人が大事にされたいのだ。
だから、
丁寧に大切にケアされると満足の源に灯りがともるのだ。

極楽認識録 「動かす」

2009年9月14(月)  

カラダもココロも「動かす」ことによって活性化する。

これ、シンプルだけど相当重要な「心得」だと思う。

原因や理由がよく分からない停滞感や倦怠感、閉塞感は、なんらかのプロセスの中で、カラダやココロをじっと動かさずに「固まって」しまうことによって引き起こされることが多い。

すべてに「行き詰まって」いる時に、ふと立上がって掃除を始めたり、外に出て歩いたりすると、それまで心身をおおっていた暗雲のようなものがいつの間にか一掃され、すっかりリフレッシュしてしまったという経験は誰にでもあるのではなかろうか。

狭い機内で長時間同じ姿勢をとることにより鬱血を起こす「エコノミー症候群」なども、この原理を心得ていれば、手脚をモゾモゾ動かすことによって充分に予防しうるものだ。

怖れや心配に囚われて気分がネガティブな停滞にあるときに、思い切って一本の電話をかけたり、誰かに会いに行って話をすることによって、一挙に霧が晴れたように事態が好転するという経験をした人も多いと思う。

万事このように、人を悩ませるトラブルや行き詰まりは、カラダを動かす、行動することによってウソのように簡単に解決解消に到ることが多い。

心身一如。

カラダはココロ、ココロはカラダ。

生き生き人生は、ほんの少しの意志を発動させて、カラダを動かすことから始まる。


極楽断片想 「日本の顔」

2009年9月13(土)  

○白鵬が往年の昭和の名横綱双葉山に憧れ、その取り組みや言動の記録を熱心に研究しているそうな。
 ただのモンゴルパワーの外人横綱ではないようだ。
 日本人力士は、このことをどう感じているのだろうか。
 すぐれた先達の影像に触れ、その遺した言葉に親しむだけでも、本質は移写されていく。
 このように、真剣に「道」を求め、打ち込む姿こそ、かつての日本人の特質だったのでは。
 白鵬は、「大横綱」になるかもしれない。

○鳩山由紀夫。
 テレビ画面に登場するたびに、自民党の批判を繰り返している人という印象しかなかった。
 しかし、衆院選大勝後の表情や姿には、何やら決意と覚悟のオーラめいたものが感じられる。
 ひょっとすると・・・
 「大化けするかも」
 という印象に変わってきた。
 「宇宙人」と呼ばれてきた点では、「仲間」だもんね(笑)。

○今回の剣道世界選手権で優勝した全日本剣道チームに関する報道や、特集番組を目にした時に、 不思議なくらいに引き込まれていく自分がいる。
 別に剣道ファンというわけではない。
 ただ、その真剣で凛々しい選手達の姿に、なんとも言い難い感懐を覚える。
 嘆かわしい諸々の日本社会の状況の中で、きっちりと伝承されている「日本」と「日本人」がいる、ということを感じて、タマシイが喜んでいるようだ。

○幸田文と向田邦子。
 自分の中では、おっかなくて、かっこよくて、「素敵なおばさん」という点で共通している。
 その自在で闊達な文章の中に漂うそこはかとないユーモアも似ている。
 明治、大正、昭和の頃に東京に育った女性特有の何かを感じる。
 それにしても・・・。
 幸田文の着物姿はなんと決まっていることか。
 気張らず崩れず自然体の小粋な着こなし。
 日頃から着つけていないとこうはいかないだろう。
 その人柄と気性が表われる着物の着こなしというものがあるのだと教えてくれる。
 こういう姿を見て「素敵!」と感じる女性が増えてくれば、日本文化の復興も希望が兆すかもしれない。


極楽のつぶやき 「無邪気の崇高」

2009年9月12(土)  

国籍民族にかかわらず、素直で無邪気な子供の笑顔を見ると、こちらの身も心も気持ちよく溶けほぐれていくような気がするのはなぜだろう。

どんな絶世の美女を見ても、可憐な美少女を見ても、こうはならない。

「子供」である必要がある。

そこに、「一切たくまぬ意識」、無邪気の崇高とでも言うべきものを感じとっているのかもしれない。



笑顔



 極楽実感 「極楽へのエクササイズ」

2009年9月11(金) 

呼吸の仕方。

歩き方。

考え方と言葉づかい。

この三つをしかるべき方向に改善すると、自分の人生は劇的に好転し始める。

これらを無意識の日常行為から、意識的なエクササイズに格上げして、法則に適ったメソッドにしたがって改善を図っていけば、毎日の人生が驚くほど変化し始める。

なぜなら、誰もが毎日毎日、無意識のうちにもっとも時間をかけてやっていることだから。

言われてみればもっともなことだけど、こんな簡単なことになかなか気づかなかった。

「考え方と言葉づかい」に関しては、ワタクシはセミプロのようなもので(笑)、ずいぶんいろいろと試行錯誤、実験、発明(?)を繰り返してきた。

「言葉は意識を誘導する」というチト気取った言い方で、その仕組みを表現してきた。

「呼吸」と「歩行」にも若い頃からヒジョーな関心を傾け、様々なメソッドを研究してきた。

西野バレエ団の西野皓三氏が主宰する西野流呼吸法には二度も入会した。(笑)

由美かおるさんにも間近で会った。(関係ないか(笑)

呼吸と歩行と食事のあり方、そして言葉づかいを中心とした心がけが、人生活性化の要諦であることをずいぶん以前から感じていた。

今回、あらためて高岡英夫氏の研究成果をその数多くの著書で学ぶに及んで、自分の直観がけっこう本質を突いていたことを知らされた。

そして、歩行と呼吸の改善は、おそらく人が想像するよりはるかに大きな恩恵をその心とカラダと人生先般に及ぼすことを、『センター・体軸・正中線』という高岡本を読みながら確信した。

日頃多くの時間をかけて無意識にやっていることだからこそ、それが変化したときに及ぼす効果と影響は絶大なものになる。

おそらく、「今生きていること」そのものが、壮烈な快感をともなうものに変化していく。

高岡メソッドを実践しながら、そのような確信に近い予感がわき起こっている極楽トンボ。(^^)


極楽報告 「盛況なり」

2009年9月10(木)   

整体ルームオープン以来最高の客数と売り上げを記録。

10月の佐賀出張整体も決まった。

何かが動き始めた。

うれしい、うれしい。

よきかな、よきかな。(^^)


極楽報告 「整体コミュニケーション」

2009年9月9(水)   

整体術は一種のスキンシップ。

カラダとカラダの対話のようなもの。

実践していくと、とてつもなく奥深いものが垣間見えてくる。

施術する人とされる人。

しかし、それは三次元的な一種の形態であり、次元を超えたところでは、もっと複雑精妙なコミュニケーションがなされているような気がする。

施術をする自分が、呼吸を整え、体勢を整え、イメージを統一していけばいくほど、それが相手に伝わり、より深い満足と喜びの状況が出現する。

そんな体験が今日も含めてこのところ連続している。

それは、どこをどういうふうに押したからほぐしたからというフィジカルで単純な反応ではなく、こちらの意識と心づもりが、相手の身体意識に伝わって、より深いレベルでの共鳴を引き起こしているような実感がある。

施術後の対話の中でも、それを裏付けるような感想をいただく。

よりシンプルに表現するなら、自分を大切に整えることが、相手の喜びや満足につながっていく、ということになる。

私はあなた、あなたは私。

人のお役に立ちたいと本気で思うのならば、まず自分を大切にしてエネルギーを高めることだ、という教訓をこれまで何度か聞かされた。

今の極楽トンボは、それを素直に受け入れることができる。(^^)


極楽レポート 「アラジンの魔法のランプの正体」

2009年9月8(火)  

ここ数十年にわたって、本やネットを通じての様々な情報や知識に向かっていた自分の意識のベクトルが、このところ自らのカラダに向かっている。

今、どんな呼吸をしているのか。

心臓や内臓の状態はどんなものか。

今、重心はどこにかかっているか。

肩や背中や足腰の筋肉に不要な力を入れていないか。

モニターしていると、今まで無意識の内に、浅い呼吸を繰り返しながら、いかにカラダのあちこちを突っ張ったり、固めたりしながら生きてきたのかが分かってくる。

何を怖れていたのだろうか(笑)。

ゆるむ意識、ゆるめる意識を心がけていると、カラダはやがてその通りに少しずつ変化し始める。

ご主人様の意志と意図をキャッチした意識が、その実現に向かって各細胞に指令を送り始めるらしい。

それは、日常の中で明確に意図し、繰り返す頻度が多くなればなるほど現実化が早まるようだ。

アラジンの魔法のランプは、ナント、自分の「意識」であったという21世紀のオチなのです。
(^^)

極楽認識録 「表現と伝達」

2009年9月7(月) 

ヴァレリーが『ドガダンスデッサン』という著書の中で紹介した有名なドガの言葉の中に、「スケッチしようとしてモノを見る時と、ただ漫然と見る時とでは、見えてくるものがまるで違う」という意味の指摘があります。

同様のことは情報知識に接するときにも起こります。

すなわち、そのことを後で人に紹介説明しようとして情報に接するときと、ただ漫然と接するときとでは、身に付き方がまるで違うということです。

教えることがもっともよく学ぶこと、という教訓がありますが、この辺りの事情を指摘したものです。

ここにも「意識」が介在しています。

つまり、それを描こう他人に伝えようとして対象と接するときと、そうでないときとでは、そこに立上がる「意識」がまるで別モノだということです。

身についていないものは人に伝えられない。

そのことを自分の中の深い意識は知っていて、いざ表現や伝達を目的として対象に接するときには、にわかに指令が出て、それにふさわしい意識を立ち上げるのです。

必要に迫られて、もしくは自覚的な意志によってこのような訓練を繰り返す人は、身につけることと、それを表現し伝達する技術が、車の両輪のように発達していきます。

それは当然ながら縁ある人々とのコミュニケーションの中で自然に発揮される機会が増え、しかも、それが人に喜ばれ感謝されるというご褒美がともなうと、人生に豊かな彩りを添えることになります。

しかも、話したり書いたりしている最中に、突然新たな視野が開け、そこにまた新たな意識が立上がるということもしばしば起こります。

人に伝えよう教えてあげようという言わば善意と良心が、自分の中に様々な「意識」を立ち上げ、それが自分の人生に豊かさと華をもたらすというこの仕組み。

とっても興味深いですね。(^^)

極楽本音録 「ふろんてぃあすぴりっと」

2009年9月6(日)  

あと何年生きるのか知らないけれど、ひょっとしたら死なないのかもしれないけれど(笑)、ここに生きている間に、自分の意識とカラダに潜在している可能性をどこまで開拓できるか。

いま、52歳の誕生日を目前にしたオジサンの念頭にあるのは、このことばかり(^^)。

いい年して、自分さえよければいいのか!

イヤイヤ、自分の中に潜在している様々な機能や可能性があるとするなら、それを顕現させて、あれこれいろいろと役立たせて、自分も人も喜ばせたい、というとっても素直でシンプルな気持ちです、ハイ。

アシカラズ(^^)。

極楽報告 「整体アセンション」

2009年9月5(土)  

整体ルームをオープンしてひと月が過ぎた。

ぼちぼちと常連さんも現れ始めた。

ここ数日、わが施術のレベルも一次元アップした感じがある。

自らの呼吸と丹田を明確に意識しながら、天からの光をゆっくりと丁寧にお客さんのカラダに流し込むイメージでケアすると、反応もよりいっそう良好になり、自らの疲労も少なくなることをはっきり感じた。

意識と感覚とイメージ。

こころとカラダという分かっているようで実はまだまだ未知の、広大無辺の世界を探索する手がかりは、この三点セットになる。

これに言葉が介在して、意識の世界を誘導していく。

「意識する」ということの途轍もない可能性を実感するところから、この探索の旅の面白さが始まる。


極楽日記 「日本の暮らし」

2009年9月4(土)  

幸田文の文章を読みたくなった。

欲求つのり、熊本市立図書館へ赴き「幸田文全集第一巻」を借りてきた。

父・露伴の臨終の過程を克明に記した「父」や、その父との暮らしの想い出を綴った「こんなこと」などが収録されている。

幸田文の原点ともいえる文集だ。

どうして、唐突に幸田文を読みたくなったのだろうか。

おそらく「日本」を想い出したくなったのだ。

今や日本社会からほとんど失われてしまった、躾けや、たしなみや、心がけや、心得というものに彩られた暮らしの中の情緒のようなものに触れたくなったのだ。

時々、こんな発作が起こる。

敗戦の約十年後に生まれた極楽トンボは、このような、暮らしの中の情緒の名残のようなものを記憶している。

昭和ノスタルジーを求める人々の気持ちはよくわかる。

不作法と無神経が横行する社会になってしまったからだ。

「教育」という言葉に入れ替わる前の「躾け」と、生活の中の智恵と技術の伝承の中で、日本人が暮らしの情緒そのものを楽しんでいた時代への揺り戻しを、DNAが求めているのかもしれない。


日本の暮らし

極楽レポート 「たくまぬダイエット」

2009年9月3(木)  

記録を見ると四年前と比べて体重が10キロ減っている。

当時72キロ、現在62キロ台。

特別にダイエットに取り組んだわけでもない。

ただ、当時少々体重過によるカラダの重さを自覚していて、将来63キロくらいまでになれればベストだなと「意識」していた。

それから、四年。
有機野菜中心の食生活を実践したり、自然に朝食は飲み物中心になったり、最近は高岡英夫氏考案の「寝ゆる三点セット」というラクチンな体操を毎朝起床前に布団の中で10分から20分ほどやっている。

それやこれやで、ふと気がついたら四年前の理想体重を実現していた。

たくまぬダイエットとでも言うのか。

久しぶりに会った人からほとんど例外なく「ヤセタねえ〜」と言われる。

別にヤセルことを目指していたわけでもないので、「はあ、そうですか・・・」と気のない返答になる。

しかしながら、考えてみると・・・。

四年前に「少しカラダが重い」と自覚し、「将来63キロくらいに」と明確な数字を挙げて「意識した」ことが、極楽トンボの潜在意識に刻印され、それが無意識下のダイエットプログラムとして発動し、ゆるやかなプロセスを経て実現化へと導いたのではなかろうか。

つまりこれは、ここのところトンボがさかんに取り上げている「意識による現実創造」のごく身近な一例ではないだろうか、というふうにハナシを持っていきたいわけです、ハイ(笑)


極楽ら・ぱんせ 「意識の話」

2009年9月2(水)

あたりまえのように使っているが「意識」とはなんぞや。

意識を形成するとか、確立するとはどういうことか。

それは「創造」そのものではないのか。

エネルギー保存の法則は、この「意識」にも適用されるのかも。

すなわち、一度形成された意識は時空を超えて存在し続ける。

この多次元宇宙は、意識による創造が万象万物を形成しながらうねり続けている大河のようなものかもしれない。

先祖や霊といったテーマも、この「意識」という観点から説明がつきそうだ。

その家系特有の意識があれば、その民族、その国特有の意識もある。

それは時空を超えて縁ある人々に作用し続けている。

そして、この意識を正しく受け継いだり、必要とあらば修正したりしながら、新たに創造することができるのは意志とカラダと言葉をもってここに存在している人(ひと・霊止)だけだとしたら・・・。

人は創造主である、ということになる。

創造主に不可能なことなどない。

その気になれば「核廃絶」や「世界平和の実現」など、お茶の子さいさいさ。(^^)


銀河宇宙



極楽のつぶやき 「落とし穴」

2009年9月1(火)

大転換。
歴史的な変化。

自分以外の誰かさんの力がハタライて、周囲の世界が快適で都合のいいものに変化することを期待する意識。

コイツが最大の落とし穴かもな・・・。

いつまでも大衆と呼ばれるなかれ。



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