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とるトンボ

Author:とるトンボ
太陽系第三惑星のニッポン国・九州アイランドの中央付近に生息する極楽トンボな男。

地球生活半世紀を過ぎても、なかなかこの地の文化になじめず、周囲から「カワッテル」と評される自分の感覚を、ブログで発信してみようと思いたつ。
だから、地球生活の「当方」見聞録(^^)

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極楽寸感 「大転換と残党」

2009年7月31日(金) 

資本主義下の「経済成長、いい暮らし」至上主義の価値観にどっぷり浸かってきた意識には、比較、競争の呪縛から脱するのは容易なことではない。

どっちがカネを持っているか。
どっちが土地を持っているか。
どっちがデキルか。
どっちが有利か。

こんなことに鎬を削りながら、人の絆や自然環境をメチャクチャにしてきた。

集合意識は大転換を始めている。

けれども・・・・・・。

残党もいるのだ。

ショーがないのだ。

これでいいのだ。

よかないけど・・・

仕方ないのだ。

ナンマンダブ、ナンマンダブ。


極楽章句 「淡々と おだやかに」

2009年7月30日(木) 

たとえ 相手が どんなでも

あなたの 態度が 肝心だ

挑発 のるな

巻き込まれるな

いつも 呑気に マイペース

淡々と おだやかな人は 気持ちいい

極楽近況 「感謝の日々」

2009年7月29日(水) 

新規事業オープンのために東奔西走の日々。

そのさなかに、毎日こんなお気楽ブログを更新している極楽トンボ。

サスガ、である。(笑)

楽天と明朗を基盤に生きると、こうなるのである。(^^)

それにつけても・・・・・・。

見える存在、そして、見えない存在たちから、様々な支援、サポートが来ていることを感じさせられる日々。

感謝、感謝。

日々、是、感謝也。



極楽実感 「究極の宝庫」

2009年7月28日(火)   

呼吸の仕方。
立ち方。
歩き方。
日常生活の中での身のこなし方。

どれも、特に教わらなくてもみんなフツーにやっている。

ものごころついてから自然に覚えてしまったことばかり。

今さらその「正しいやり方」など教わらなくともケッコー。

ところがどっこい。

意識と身体の可能性の開発という観点から見るなら、この何でもない、人が無意識のうちにやっている日常的なことの中にこそ、無限と言ってもいい未開拓の宝の山が眠っていることがわかってくる。

誰もが無意識の内にやっていることだからこそ、そこにあらためて意識のスポットライトをあて、仕組みと法則に従って改善を図っていけば、心身の状態は確実に向上していく。

つまり、毎日の生活の体感・実感が変化し、ひいては人生が変わる、ということになる。

特に「呼吸」と「歩き方」は、究極の宝庫という感じがする。

最大のチャンスは、「日常」の中にある、というオハナシ。(^^)


極楽トロトロふれーず 「わからんじゃ」

2009年7月27日(月) 

自分の身体のことすら、よくわかっていない。

自分の心の中すら、よくわかっていない。

よくわかっていない者が、あまりエラソーなことは言わない方がヨロシー。

評論家、コメンテーターの時代が終わる。



モノ言えば 唇寒し 長梅雨


雨



極楽ぽえむ 「わたしの映画」

2009年7月26日(日) 

あの人がああ見える。

この人がこう見える。

とっても愚かに見える人。

とっても卑劣に見える人。

とってもエゴに見える人。

それを見て品評している自分。

そんな自分はどんな人。

自分だけが見ている映画のような世界。

この映画館を出たら、どんな世界だろう。


極楽のマントラ 「ゆるスピリット」

2009年7月25日(土) 

ゆるんで、ゆるんで。

ゆるして、ゆるして。

ゆだねて、ゆだねて。

気持ちよお〜く、気持ちよお〜く。


極楽寸感 「禊ぎ」

2009年7月24日(金) 

断続的にかなり強い雨が降っている。

今年、なかなか終わらない梅雨。

八月の声まであと一週間を切って、梅雨明け宣言が出ていない年は、あまり記憶にない。

雨、風、山、川、海。

自然の姿や現象の中に、なんらかの意志やメッセージや警告を読み取るというセンスを、かつての日本人は持っていた。

それぞれの中に「カミ」」を感じ取っていた。

それは教義や宗教とは関係のない、気候風土や生活の様相の中に現れる、人知を超越した「仕組みと法則」への畏敬の念のようなものだったろう。

自然現象は、小賢しい人知や手段を一掃して、あっという間に人命も住居も呑みこんでしまう。

泣いても騒いでも後の祭り。

「後の祭り」で泣くよりも、「先に祀ること」の方が大切だと考えるのは、謙虚な人の智恵というものだろう。

人事を尽くして天命を待つ。

謙虚を忘れた人間には、大いなる意志が「気づきの機会」をもたらす。

子供向けの物語や神話の世界のオハナシだと高をくくっていると、それこそ「後の祭り」になる。

やまない雨。

終わらない梅雨。

いよいよの大峠を迎えて、「禊ぎ」が足りないよ、という警告かもしれない。


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極楽観測 「スピリチュアル」

2009年7月23日(木) 

「スピリチュアル」という言葉は、ウサンクサさ、アヤシサと、未知の領域、神秘の可能性の両方の間で、微妙な均衡を保ちながら、少しずつ人々の意識に浸透しているように見える。

エハラさんとミワさんの貢献かもしれない(笑)。

精神世界や見えない世界と聞いただけで、腫れ物に触られたように拒絶反応を示す人がいる。

オウム事件からその人口は急増した。

しかしながら・・・・・・。

本人が認めようが認めまいが、キョーミあろうがなかろうが、誰もが引力の影響下にあるのと同じように、スピリチュアルな世界の仕組みの中に生きている。

意識と身体で言うなら「意識」の領域になる。

モノや物体に法則があるように、この「意識の領域」にも法則がある。

自分が発信する想念と言葉が自分の周囲の現実を創造するという法則が、もっとも身近で切実なものだと思う。

にもかかわらず、多くの人々が、この切実な法則に関して、驚くほど無関心、あえて言うなら無知であるように見えて仕方がない。

社会的に地位や権威があると見なされている人たちが、口をきわめて批判や罵りの言葉を繰り返す有り様を見ていると、現代社会の主流はこの霊的無知の上を流れていると言わざるを得ない。

「ものは言いよう」

確かに江戸時代の日本人の方が、意識は「大人」だったようだ。


極楽ぽえむ 「皆既日食」

2009年7月22日(水) 

光隠れ、

光あふれる。

皆が光を見つめる日。

天空で、日と月が融け合う日。

日月神示。

人類が一斉に宇宙に意識を向ける時。

集合意識、大きく動く。

天のプログラム。

雲散霧消するものあれば、

新たに生まれるものもある。

動く、動く。

大きく、動く。

何かが、動く。

きょうは、ふじ(二二)の日。

ふじは はれたり にほんばれ


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極楽暴言 「ソーセンキョ」

2009年7月21日(火)  

ワタシは選挙戦というものが大嫌いである。

なぜなら、街や居住地域がウルサクなるからである。

ワタシは、何であれ、ウルサイの、ヤカマシイのが大嫌いなのである。

特に選挙戦終盤となって必ず出現する、絶叫、哀願、土下座を見ると目をそむけたくなる。

「ドーカ、ミナサンのチカラで、押し上げてください!」

オッパイ矯正じゃあるまいし・・・・・・。

晴れて国会議員になると手のひらをかえしたように、バッジを光らせ「ドーダ!」という態度になるのも見苦しい。


ウチの隣のとなりのオジサンは、いつも目の前の公園で、子供達が散らかしまくったお菓子の容器や包み紙を黙々と拾っている。

善意のひけらかしもアピールもない。

散らかす子供達への注意や叱責もない。

年中、黙々と拾っている。

ただ、きれいにした方がキモチイイからやっている,という心情がその姿ににじみ出ている。

このオジサンの姿を見るたびになんだか胸が温かくなり、潤うような気がする。

選挙も含め、これみよがしの営業、PR、アピールという行為全般が、なんというかバレバレ、ミエミエの世界に感じられ、少なくともワタシの中では「過去の遺物」のように感じている。

淡々と、黙々と自分の好きな世界を構築している人が、好きだなあ〜(^^)。




極楽観測 「ステーツマンとコトタマ」

2009年7月20日(月) 

まだ、総選挙が実施されるどころか、解散も公示もされてないのに、政権交代は既定の事実のように連日報道されている。

もう次期総理は鳩山さんで決まったかのような雰囲気だ。

都議選での自民惨敗や、世論調査とやらを受けての報道だろうけれども、こういうのは世論操作やマインドコントロールとは言わないのだろうか。

あの9.11小泉劇場郵政民営化騒動総選挙の時も、正義の味方小泉親分の放った刺客を一斉に持ち上げるような報道がなされていた。

マスコミさんの有り様は、やはりトッテモアヤシイ。

鳩山さんも、一国のリーダーとなられるのなら、これまでのようにテレビ画面に登場するやいなや自民党の悪口を言い始めるのをやめて、せめて新しいニッポンの姿を描き出すような建設的ヴィジョンを口にされた方がいいのではなかろうか。

真のステーツマンはコトタマの威力を熟知して、使いこなせる人でなければ務まらない。


極楽得心録 「虚心坦懐」

2009年7月19日(日) 

なにごとも、自分の眼と感覚で確かめるのが一番。

「無愛想でロクに世間話もできない」と知人から聞かされていた人物を我が家にお迎えし、対座してみると、あに図らんや、程よく快適な懇談のひとときが出現した。

別に無愛想なこともなく、自然な笑顔を浮かべながら、今にいたるまでの自分自身の身の上まで語ってくれた。

人は自分の見たいものしか見ていない。

「見えても見えず、聞こえても聞こえず」と、迷妄にとらわれた一般ピープルのことを評した賢者がいたそうな。

ましてや、自分の発するある種のエネルギーが相手に反映して、鏡として見せられているなどと気づく人など稀なのかもしれない。

虚心坦懐(きょしんたんかい)。
(心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。▽「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態。「坦懐」はわだかまりがなく、さっぱりとした心。平静な心境。<三省堂・新明解四字熟語辞典>)

春風駘蕩、泰然自若と並んで、トンボの大好きな四字熟語です。

いつも、そうありたいもんだ。

んだ、んだ。

極楽回想 「よみがえるトキメキ」

2009年7月18日(土) 

トンボが高校生時代に、いたくトキメイタ演奏二つをご紹介。

当時のブリティッシュロックの人気グループ「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」(通称ELP)と「イエス」の演奏録画です。

まずは、ELPのキーボード奏者・キース・エマーソンのピアノソロをフューチュアした「Take A Pebble」という曲。

「Take A Pebble Part 1」

なんと、もう四十年近く前の演奏録画です。

当時NHKでやっていた「ヤングミュージックショー」という番組で初めてこの演奏を聴いて、そのリズミカルで跳ね踊るようなピアノソロに、若き日のトンボは強く魅了されました。

現在まで続いているトンボの「ピアノ大好き」は、この体験も大きく作用していると思います。



続いては、「イエス」というバンドのギター奏者・スティーブ・ハウのソロ演奏「Mood for a Day」。

「Mood for a Day」

その頃購入したイエスのアルバム「Fragile」に収録されていた曲です。

その哀愁を帯びたスパニッシュでかつリズミカルな音の展開は、高校生トンボには初体験の曲調で、この曲だけが強く耳に残り、約四十年の歳月が過ぎた現在でも、なにかの拍子に時折意識に浮かび上がってきます。

どちらの演奏も、今聴くとかなり荒削りな印象ですが、それにしても青春の記憶の中に埋もれてしまったと思いこんでいた「ワタシの中の名演奏」をこうしてパソコン画面で見聞きできるなんて・・・・・・。

なんだか、音楽の神様から思いがけないプレゼントをいただいたような気分(^^)。

しかし・・・

ワシも、四十年前の想い出を綴るトシになったんじゃなあ〜・・・

アハハハ


極楽観測 「自我の終焉」

2009年7月17日(金) 

もの心ついて自我が芽生え、様々な体験と学びを経て、やがてその自我(エゴ)を超越していくというのが、どうやら人類に与えられた意識の進化と成長のプログラムらしいけれども、その経過は決して順調と呼べるものではないように見える。

意識の進化と成長?!
そんな甘チョロでメシが食えるか!

経済力と軍事力にものを言わせて、他者や民族や地域を自分の思い通りに支配するというゲームに権力者は夢中になってきた。
今も、その渦中にある。

いや、権力というものはそもそもそういうものであって、それが「当然」の発想であり、行動であるという常識・ルールのもとに、ここ数千年にわたって人類社会は推移してきた。

特に「西欧列強」が海を越えて世界に猛威をふるうようになって、その傾向は顕著になった。

このクニも、百年以上前に、このウエーブに呑みこまれた。

そして、近代になって良識ある社会の条件のように浮上した民主主義なるものも、今となってみれば一種の方便、隠れ蓑に過ぎない。

その社会の実権は、表には出ない一部特権集団や個人が掌握し、コントロールしていることに、多くの人々が気づきはじめた。

何でも独り占めしたがるというのが、聞き分けのない子供の特徴。

肥大した自我は、物質や金銭のみならず、他者のイノチや自然の環境すら我がモノにしようとする。

そういう意味で、人類はここ数千年にわたって、聞き分けのないコドモに支配されてきたと言ってもいいのかもしれない。

ブッダやキリストが投じた石も、順調な波紋となって広がり、人類社会の主流となることは決してなかった。

肥大したものはやがて終焉を迎えるというのが、自然の法則。

自我の拡大という壮大な人類ドラマの、いよいよフィナーレの時を迎えているような気がする。


自我の終焉



極楽実感 「わくわくジイサン」

2009年7月16日(木) 

自分が本当に興味のある好きなことを学んだり調べたりノートをとったりということをしている時というのは、いわゆる「努力をしている」感覚ではない。

それは、未知の世界に分け入るワクワク感にあふれた「探検」「冒険」の感覚に近い。

子供の頃に山の洞窟に入ったり、森の中で材料を集めながら「秘密のすみか」を造るときの、あの感覚だ。

いくつになっても、こういう楽しみに身をひたしている人は、若々しく少年少女のようだ。

そういうジイサンにワタシはなりたい。




極楽日記 「話を聞く」

2009年7月15日(水) 

じっくりと、その方のお話を聞く。

驚いたこと、悔しかったこと、腹が立ったこと、義憤を感じたこと、40年に及ぶおびただしくも波瀾万丈の体験談が芋づる式に引き出される。

その時々の自分の気持ち、直感、ただちにとった処置、しばらく後にやって来た気づきと反省。

それらのことごとくを、おどろくような率直で語り続ける。

所要時間、二時間超。

終わり頃になって、にわかに外で突風が吹いた。

公園のゴミ箱が吹っ飛び、庭先の洗濯物が一斉に倒れる猛烈な風だった。

その方の怒りと憤懣のエネルギーが浄化されたシグナルだと直感した。

お話は一段落し、上機嫌になったその方に、外でお昼をご馳走になった。

人の話を聞く。心を込めて聞く。一所懸命に聞く。

それは、この世に生きる人としての貴重な体験であり、学びの機会であり、そして、スピリチュアルなエネルギーワークであることをあらためて実感した一日。


極楽寸感 「主宰神」

2009年7月14日(火) 

「世界は自分を中心に回っている」

エゴイスティックな思考形態の代名詞のように使われて来たこのフレーズ。

けれども・・・・・・。

自分という小宇宙を主宰するものとしての自覚を表現する言葉だと捉えるなら・・・

その意味合い、ニュアンスはガラリと変わる。


極楽日記 「ミタマ迎え」

2009年7月13日(月) 

今年の二月に亡くなった母の初盆供養のミタマ迎えに山都町へ。

本家に伝わる作法にのっとり、山上のお墓でお参りしたあと、帰途の所々に道しるべの線香を置きながら提灯の火を運ぶ。

トンボが運転し、助手席では相棒が火の付いた提灯を掲げて、夕方近くに帰宅。

用意したささやかな祭壇の、蓮の形の蝋燭に火を移して、ミタマ迎えの儀、ひとまず完了。

相棒心づくしのご馳走を前に、久々に三人で(!?)ビールで乾杯。

「あ〜、オイシカ!」という母お得意のセリフが聞こえたような(^^)。


提灯



極楽ら・ぱんせ 「消えゆく境界線」

2009年7月12日(日) 

誰もが霊魂の不滅を常識として信じてきたからこそ、「お盆」という慣習行事がこの国に根付いている。

こちらで肉体を脱いだ身近な人は、その様相や実態はよくわからないけれども、「向こう」の世界で存在していると考えている。

いつか自分も「向こう」に行くのだということを漠然と意識しながら。

「向こう」の様子は行ってみなければわからない。

そこに、どんな仕組みや構造やルール・法則があるのか、神秘体験者以外は、様々な宗教やスピリチュアル情報を参考にするより手がかりはない。

こちらでのあり方と、向こうでの処遇・環境に関する関係性は、皆気にはなるけれども、考えても仕方がない問題として、ほとんど頭の片隅に追いやられる。

皆、ここでの生活に仕事に忙しいから。

しかしながら、この世で幼い頃より親や周囲から吹き込まれた道徳的教義とは別のところで、生死を超越した厳然たる法則美のようなものが存在することは、誰もが心の奥で直観している。

それは、社会道徳や知識や理屈を超えて、有無を言わさぬ崇高さを感じさせる人のあり方、姿や、芸術作品に接した時の、圧倒的で気高い存在感として、意識の記憶に刻まれている。

ただ、ほとんどの人が、それは自分とはかけ離れた奇跡的な人物や才能の産物と思いこんでいる。

ここにも、「この世」と「向こう」の間に無意識のうちに設定しているのと同じような境界線が作用している。

今、この境界線がどんどん消滅しているとしたら・・・・・・。

脱皮。
ブレイクスルー。
DNAのスイッチ、オン。
人類の意識とカラダの大転換期。


脱皮



極楽自告 「素直と自信」

2009年7月11日(土) 

淡々と現れている事実やデータから、何を読み取るかが肝心。

マスコミの煽動に惑わされていると、素直な真実が見えなくなる。

ーーーーーー       ーーーーーー      ーーーーーー

たとえ、周りや人がどうであろうとも、自分はこうありたいという姿を明確にしておきたい。

生きるスタンスがぶれていると、利害損得に惑わされることになり、自分の自分自身への信頼を損なうことになる。

つまり、自信が無くなる。

自信は、自立と平安の礎(いしずえ)。

真の自信に満ちているときに、人は透明な靱(つよ)さを帯びて静かに安定している。


極楽の秘訣 「念入りなマントラ」

2009年7月10日(金) 

ややもすれば、過去や未来に気をとられ「心ここにあらず」になりがちなのが人の常。

特に日常的な単純作業をしているときにそうなりがちですねえ。

お掃除、皿洗い、部屋の片付け、帳簿記入、よく通る道での車の運転、等々。

ちょいと油断すると、目の前の作業を離れて、心は過去や未来の気がかりや心配事の世界をさまよい始めます。

過去や未来をいかに「気にして」も「反芻して」も、何がどう好転するわけでもないのに。

むしろネガティブマインドを蒸し返して、かえって心身にダメージを起こしたりする。

当然、作業の精度はおろそかになり、ケアレスミスやポッカリ忘れが頻発しがちになります。

これを防ぎ、しっかりと「今を生きる」ための(チト、オーゲサカ^^)、身口意(しんくい)メソッドをトンボは数ヶ月前に開発し、愛用しております。

知りたいですか?

ムフフフフフ・・・・。

えーい仕方がない、読者の皆様には特別に伝授いたしましょう(^^)。

それはマントラの活用です。

トンボが考案して「念入りなマントラ」と名付けたものを、何をするときも心の中で、もしくは周囲の事情が許せば小さく口に唱えながら作業をするのです。

そのマントラとは・・・

「きっちりと、丁寧に、心を込めて、工夫して」

というものです。

言葉は意識を誘導し、意識は行動や現象を誘導するという原理をご記憶ですか。

こんな何でもないシンプルな言葉でも、心がけて唱えていれば、自らの細胞がその指令を受け取ってその通りにカラダが動くようになるのですね。

その結果・・・

今、自分がしていることにしっかりと意識を向け、何事も「きっちりと、丁寧に、心を込めて、工夫して」やるようになるのです。

面白いもんですね。

この、マントラを活用する「身口意メソッド」は、それこそ自分の工夫しだいで、ありとあらゆることに応用できます。

トンボも今、各種実験中です(笑)。

面白い成果が挙がったら、またご報告します。


極楽感想 「新たな創世記」

2009年7月9日(木) 

永遠の名作と定評のある映画や文芸作品に接して、けっこう失望することが多い。

こちとらの鑑賞眼力にもモンダイがあるのかも知れないが、こんなもののどこが「名作」なのだ、とアキレタり、ガッカリしたりを繰り返すうちに、ふと、ある仮説らしきものが脳裡を漂い始めた。

これらは、もうすでに人類の意識の賞味期限を過ぎているのではなかろうか。

たいていのヒューマンドラマは、男と女の逆上と修羅場か、英雄や孤独な男の妄想の紆余曲折か、勧善懲悪の水戸黄門ドラマのバリエーションだ。

これにたいてい暴力や殺人がからんでいる。

勧善懲悪ドラマには、英雄として称えられる「捕らえられざる殺人犯」が数多く登場する。

こんなものばかり半世紀以上も見せられてきた「意識」はたまったものではない。

もう、ええカゲンにせんかい!

少なくともワタシのイシキはそう言っている。

次元上昇したイシキによる新たなヴァージョンの物語の登場が待望される。

それは神話のカミにとって替わる、ヒトによる創造の悦びにあふれた、新たな「創世記」かもしれない。


脳内中継



極楽直観 「意識とカラダの物語」

2009年7月8日(水) 


☆ カラダがゆるみ、呼吸が深くなればなるほど、生きていることそのものの悦びを体感できるようになる。

☆ カラダの可能性を開発していくことは、しっかりと「今を生きる」ことにつながる。

☆ いつも「今」が最大のチャンス。

☆ 意識の中で自分の向かうベクトルが確立している人は、あまりベラベラしゃべらない。

☆ 日本語の精妙なニュアンスは、心の深さに直結している。

☆ 今、あらゆる争いの物語が、急速に古び始めている。

☆ いつも「プロセスを楽しむ」意識でいられたら、怖れるものはない。




極楽感懐 「ふつうであること」

2009年7月7日(火) 

右脚付け根の激痛に見舞われ、約二ヶ月の歩行困難を体験したのがこの春先。

現在、痛みはウソのように消えているが、あまりにも強烈な浄化の洗礼だったおかげか、今でも日常の立ったり座ったりの動作や、道を歩いている最中に、「ふつうにカラダを動かせること」の有り難さに意識が及ぶ。

喉元過ぎても熱さを忘れていないようだ。(笑)

ふつうに歩ける。
ふつうに呼吸ができる。
ふつうに食事ができる。

人は、このベーシックな「ふつう」の有り難さをつい忘れがちになる。

事故や病気や戦争など、大きなトラブルに見舞われて、初めて「ふつう」の有り難さに気がつく。

「ふつう」であることは、実は奇跡のような僥倖かもしれないのに。

「ふつう」に慣れれば、無いモノねだりを始める。

すでに幸せな人が、幸せを求めて「おねだりの旅」を始める。

欲望の拡大再生産で無間地獄の扉を開ける。

現代地球文明の縮図。


朝目覚めて、「お〜、ラッキー!今日も生きてるぜ!」が幸せの基本。

生きてりゃなんとかなるもんだ。

脳天気、極楽トンボが一番だ。

そだ、そだ。



極楽日記 「楽天航路」

2009年7月6日(月) 

新たな展開に向かって大きく舵がきられた一日。

ここ数ヶ月の出来事・体験がすべてつながり、貴重なファクターとして花開こうとしている。

やはりナニモノかがシナリオを書いているとしか思えない見事さ。

そのナニモノかはたぶん自分の中にいるのだろうけれど、その構想力と意表をつくアイデア、思いもかけない出会いの演出は、正直なところワタクシの能力を超えている。

こういうお方の存在を自分の中にうすうす感じながら、その展開シナリオに素直にのっかっていくオモシロサというか、意識上のコツのようなものが身についたような気がする。

要は我を張らないこと。

自分の体験知識や判断にこだわらないこと。

全体の流れを重視して、それに逆らわないこと。

様々なカタチでやってくるナニモノかからの「促しシグナル」を見落とさないこと。

「塞翁が馬」の教訓を忘れないこと。

楽天と明朗を自分の基盤にしておくこと。

そんなところだな。

笑う門には福来たる。

日本のことわざの凄さには、年をくうほどに唸らされる。


楽天航路



極楽モノローグ「見ない健全」

2009年7月5日(日) 

国会議員としての自分の地位がアヤウくなると、ついこの間みんなでかついだ御輿も、アワテテまるでゴミ箱のように放り捨てようとするんだな。

あな、あさまし。

どっちもどっちの百鬼夜行。

魑魅魍魎の世界を演ずる人たち。
その様子を日本中に流し続ける人たち。

健全な精神を育もうと思うなら新聞テレビを見ないこと、というのは、今やかなり説得力がある。(^^)



極楽編集録 「意識とカラダは貴重な資源」

2009年7月4日(土) 

意識とカラダこそが、万人に与えられたかけがえのない資産であり資源であり、その時々の社会的経済的な立場や状況は、様々な要因が重なり合って現出している一局面・フェーズに過ぎない。

人は意識とカラダの中に秘められている仕組みや法則をつかんでその潜在力を開発し、明確に意図して行動することによって、時には奇跡のようなプロセスをともないながら、望む状況を創り出していくことができる。

これが、高岡英夫を始めとする様々な先達の教えに学びながら、トンボが齢五十過ぎにして到達したこの世と人生に関する基本的な考え方です。

神頼みでもない。
他者や国家に依存するわけでもない。

この世で自分に与えられている資源を最大限に発掘して、その機能性を高めながら、自分好みの小宇宙を創り出していこうという、とても自立的でさっぱりした姿勢だと思うのですが。

ここのところこのブログに書きなぐってきた基本認識を、以上のように編集的にまとめてみました(^^)。

こういう発想で自分というものを見直してみるならば、
「アンタ自殺なんかしている場合じゃないよ!」という話になると思うのですが・・・・・・。

えっ、ならない!?

それはオマエがノーテンキな極楽トンボだからこそ言える話だ!?

そーですか・・・・・・。

そうかなあ〜???

まあ、いっか。

余計なお世話、カラスの勝手。

ハイハイ。

ヘイヘイ。

ボンボン。


極楽認識録 「ああ、神よ」

2009年7月3日(金) 

すべての根源であり、究極の親。

これは世間一般に神と呼ばれる存在を表現するときのトンボの言葉。

意識も生命も物質宇宙もひっくるめて、すべてを生みだした源としての原意識を指す。

だから、人間の「親心」に、神の真意が雛形として移写されていると考える。

真の親は子供の成長と自立を願う。

自ら歩み始めた子に対して、余計な手出しや、口出し命令はしない。

無限の慈愛の眼差しで、その試行錯誤と奮闘ぶりを静かに見つめている。

やがて、自分のようにすべてを包み込み慈しむ、永遠で無限の意識体に成長してくれることを願いながら。



温かな光



極楽認識録 「無自覚な創造主」

2009年7月2日(木) 

言葉は意識を誘導し、意識は身体や行動を誘導する。

身体や行動の変化は、当然ながら自分という小宇宙に起きる現象の変化となって現れる。

つまり、人は言葉によって自分自身に指令をくだし、現象を創り出す存在であるということができる。

その自覚と意図の有無にかかわらず。

はじめに、言葉ありき。

言葉を基点として現象を創り出す創造主としての人。

無自覚な言葉の乱用は、しばしば地獄と呼ばれる現象を引き起こす。

自分で何をしているのかわからずに、内心で人を罵り、自分を罵ることを繰り返す内に、やがてそれに応じた現象や出来事を引き寄せる。

その出来事に悲嘆逆上してまた罵りを繰り返す。

そして、その言葉に従って地獄が出現する。

当人は、自分が創り出していることに気づいていない。

この法則に従った現象は現代世界のあちらこちらで噴出している。

政治の世界も、経済の世界も同じこと。

かつての礼節の国日本では、今や親子兄弟が罵りあい殺し合う地獄が頻発している。

はじめに、言葉ありき。

平和で気持ちのいい世界を望むのなら、まず自分が使う言葉から変えていく必要がある。

いたわりの気持ちをこめて、人をねぎらい励ます時に、自分の周囲に「思いやりワールド」が出現する。

創り出すのは自分であるという自覚こそ、智恵と呼ぶにふさわしい。


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