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とるトンボ

Author:とるトンボ
太陽系第三惑星のニッポン国・九州アイランドの中央付近に生息する極楽トンボな男。

地球生活半世紀を過ぎても、なかなかこの地の文化になじめず、周囲から「カワッテル」と評される自分の感覚を、ブログで発信してみようと思いたつ。
だから、地球生活の「当方」見聞録(^^)

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極楽モノローグ 「希望の星」

2009年6月30日(火) 

いつも地球の上に居ることを、銀河宇宙の中に居ることを、忘れないようにしたいなあ。

地球の意志や、宇宙の意志を、感じ取れるヒトでありたいなあ。

そして、すべてを計画し産み出した存在の気持ちを、酌み取れる意識でありたいなあ。




地球


銀河



極楽の気づき 「観察する」

2009年6月29日(月) 

観察も、意識して徹底すれば「洞察」に進化し、肉眼では見えない仕組みや構造を感知するに到る。

無心に、注意深く見つめ続けるという行為が、内奥に控えている本来の想像力を発動させる。


極楽独白 「ああ、総選挙」

2009年6月28日(日) 

政治の世界はなにやら慌ただしくなり、解散時期をにらんで風雲急を告げるという感じだけど、一向にキョーミ湧かない。

自分たちの生活に直結する一大事ということはアタマではわかっているのだけど、キョーミ湧かないものは仕方がない。

なぜだろう。

舞台の上の役者連中が皆あまりにも低レベルで、お粗末と感じているからだろうな。

相手の批判ばかり繰り返している。

インタビューを聞いても、討論を聞いても、こちらの知と情の琴線を震わせるような言葉を発する人物は今の政界のどこにも見あたらない。

国家再生のグランドデザインを、ヴィジョンを、聞く者の想像力を刺戟して極めて説得力に富む言論で表現できるステイツマンは、少なくともトンボが知る限り、政界のどこにも居ない。

今回覇権を争う両陣営のどちらが勝利しても、日本中が沸き立つような希望あふれるウェイブは起こらないだろうことを、トンボの細胞は知っているのかも知れない。

無意味な大騒ぎと感じている。

ことさらに悲観したり、シニカルになるつもりはないが、自分の感覚は正直だ。

総選挙でクニが大きく変わるということが、もし起こり得るなら、現在の政治機構と官僚機構を根底から造り替えるようなパワーと知力と誠実を備えたテクノクラート集団としての新たな「パーティー」が出現したときだろう。

梅雨の夜の夢・・・かな。(^^)


極楽レポート 「お宝メソッド」

2009年6月27日(土) 

朝からいつものように「軸タンブリング」という、その場でカラダを上下にゆする高岡英夫メソッドのトレーニングをやっていたら、後半の十分頃から、カラダの中からサワサワ、サワサワと何かが立ち昇り、頭髪が逆立つような感覚に見舞われた。

毎朝本格的に日課として取り組み始めて一ヶ月が過ぎたが、これは初めての体感だった。

いわゆる「氣」と呼ばれるエネルギーが動いたのだろうか。

何事も毎日の実践の中から、やがて何かが動き出す。

そこから得られる気づきや発見は、脳細胞だけではなく、体感として全身記憶の中に蓄積されていくような気がする。

同じく毎朝起床前に布団の上で実践している「寝ゆる」という体操の効果なのか、ここ一ヶ月で自然に体重が減少し、五年前に設定した理想体重の63キロに到達して安定した。(ちなみに10年前は76キロでした^^)

「寝ゆる」は、仰向けに寝っ転がって足腰をモゾモゾ、ブラブラさせるだけの体操。

このシンプルな動きが、背骨をゆるめ、体感を向上させ、ダイエット効果もあるとは知っていたが、それが事実であることを、我が身で確認できた。

人体の不思議。

毎日の実践を通じての意識とカラダの冒険。

高岡英夫メソッドには豊富な宝が埋蔵されているようだ。




極楽独白 「意識は魔法のランプ」

2009年6月26日(金) 

意識を向ける。

意識を移す。

そこに意識を作る。

意識が立ち上がる。

意識を自分の意志で自在にコントロールできるようになることが、自立した意識体としてのヒトになる最初のステップという感じだな。

カラダに潜在している無限の機能と可能性は、そこから発動するようだ。

霊主体従という言葉は、そんな意味も含んでいるのかもね。

「意識」こそ、まさに人類に与えられたアラジンの魔法のランプかも。(^^)


魔法のランプ


極楽日記 「ターニングポイント」

2009年6月25日(木) 

大きな転換点のような一日。

イイも悪いもない。

すべてはなるようになっているのだろう。

必要な学びとともに、これまでの自分の弱点としてきたテーマの最終ヴァージョンが終了した感じ。

それと同時に、新たな展開の構想がかなりリアルにイメージとして立ち上がる。

この十年の流れが、必然によって導かれてきたことを思い知らされる。

日常の意識ではとらえきれていない深い部分の自分は、やはりすべてを知っているのだろう。

そのことは、何となく分かっていたような気もする。

こんな日の夕方に、ずいぶん久しぶりの知り合い三人から電話があった。

それぞれの用件が、今の自分へのお知らせメッセージのような感じだった。

それは、過去のテーマの終了を告げるエンディングベル。(^^)

誰が仕組んでいるのか知らないが、ホントによくできている(笑)。


放水

トンボのふる里熊本県山都町「通潤橋」の放水風景


極楽想念学 「愚想問答」

2009年6月24日(水) 

気がかりや心配事があると、人は無意識の内に自分の中にネガティブグレーゾーンを形成し、そこにどっぷりつかってしまう。

トンボも若い頃からよくやったもんだ(笑)。

特にその問題が自分にとって弱みや怖れに関わるナーバスなものであればあるほど、ネガティブ想念が繰り返し繰り返し脳裡を去来するようになる。

そしてハートの部分が重苦しく冷たい、あの独特の体感に支配されるようになる。

今流行り(はやり)の(という言い方はフキンシンか)「鬱」はこの状態が高じたものだ。

特に対人関係がからんでいる場合は、その人物を自分の想念場に呼び出し、言われてもいないセリフを言わせ、とられてもいない態度をとらせ、それに怒り憤慨し、反論や罵倒のセリフを必死で案出するということを繰り返すようになる。

怖れ、不安が生み出すネガティブな架空の問答だ。

だいぶ前、これを「愚想問答」と名付けた。

わかっているつもりの今でも、時々やる。

ああイカンイカンと打ち消しても、気がつくとまたやっている。

愚かだねえ(^^)。

まあ、こういう状態に陥ったら「モグラ叩き」でもやるつもりで辛抱強く取り組むしかない。

その意識がある限り、無意識どっぷり地獄に堕ちる心配はない。

たかが意識、されど意識。

自分の今の状態に自分で気がついている、ということが肝心なんだな。



極楽レポート 「カラダワンダーランド」

2009年6月23日(火) 

意識を向ければ向けるほど、身体意識はより精妙になっていく。

子供や植物に目をかければかけるほど、発育がよくなっていくように、自分のカラダの意識も、注意を向ければ向けるほどより発達してくるようだ。

日常生活や仕事の中で、自分の姿勢や骨や筋肉の状況に意識を向けることが習慣づいてくると、その部分の微妙な変化や今まで自覚しなかった状態がワカルようになる。

なおかつ、力学の法則に応じる、より理にかなった動きや姿勢も自然に分かるようになる。

これはアタマではなく、いわゆる「カラダで分かる」という感じ。

今まで気づかなかった自分の体の細胞からのシグナルを感じ取れるようになったということだろう。

このような発見や体感が連続すると、高岡英夫のいう「カラダには希望があり、無限の可能性と宇宙が広がっている」という表現もあながち大げさではないと感じられてくる。

これこそ、実践し体感してみなければ決して分からない世界だろう。

体。身体。カラダ。

生ける人、誰もが平等に与えられている希望にあふれたワンダーランド。(^^)




極楽寸感 「群がる人々」

2009年6月22日(月) 

国際音楽賞で優勝した盲目の天才ピアニストにどっと群がる。

ノーベル賞候補のベストセラー作家の久々の新刊にどっと群がる。

読めない漢字本にどっと群がる。

手抜き料理のレシピ本にどっと群がる。

韓流スターにどっと群がる。

・ ・・・・・。

もともとそういう性格が強かったとはいえ、このクニの人々が、今話題のものに「どっと群がる」傾向は、近年ますますその極端度を増しているような気がします。

見ていてなんとなく不気味な印象を受けます。

数年前、小泉劇場の刺客として登場した派手な女性対立候補に、どっと群がって握手を求めていたオバチャンたちの姿が思い出されます。

半世紀以上前に、「お国のため」や「鬼畜米英」や「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンにどっと群がって戦争を支持したのは、このクニの人々の持つこのような傾向ではなかったのでしょうか。

一人一人と向かい合えば、とても小心で善良な常識人なのに、ひとたび集団と化すと、まるで何かに取り憑かれたかのように暴走を始める。

これは何も、このクニの人々に限った傾向ではなく、群集心理や大衆心理というものの持つ、一種の魔性なのかもしれません。

そして、これを見越して巧みにシナリオを書き、演出し、狙った方向へと誘導しようとするものがいる。

クワバラ、クワバラ。


極楽フレーズ 「中心を捉える」

2009年6月21日(日) 

中心帰一。
正中線。
丹田。
天芯。
地芯。
足芯。

何事も「中心を捉える」ということの中に極意が潜んでいるようだ。


極楽のホンネ 「一億の行方」

2009年6月20日(土) 

ここのところ職場環境の関係で、我が家ではまず見ることのない民放のバラエティ番組なるものを目にしてしまう機会が増えた。

あらためて、その惨状にしばし絶句・・・。

こういうものを面白がって毎日見ている日本人がホントに大勢いるのだろうか。

いるのだろうな・・・・。

テレビの普及が本格的に始まった昭和三十年代の始め(トンボが生まれた頃です)、評論家の大宅壮一が日本の将来を危惧して「一億総白痴化」と評した。

半世紀前のことだ。

その炯眼と先見、おそるべし。

無意識と無自覚というものは、人を、国を、どこへ連れていくのか。

メディアの三流舞台劇に洗脳された大衆が投じる票なるものが、どこまで意味があるのか。

小泉劇場に拍手喝采を送って、郵政資金をハゲタカファンドに明け渡した大衆票は、今度は何劇場に踊るのだろうか。

衆愚政治。

民主主義も考えもんだ。


エラソーニユーナヨ。

ソーユーテメーハナニサマダイ?

はい、ただのノーテンキ極楽トンボです、スイマセン、スイマセン
(^^)



極楽モノローグ―心とカラダと青い鳥―

2009年6月19日(金) 

自分の心と体にしっかりと意識を向ける。

そこで絶え間なく動いている感情や感覚の精妙をじっくりと味わう。

こういうとってもシンプルなことが、生きていく上での最も大事な基本かもしれないな。

いつのまにかこれが出来なくなってしまっているのが現代人というものかもしれん。

外のおびただしい娯楽や刺戟や情報に気をとられているうちに、灯台もと暗し。

青い鳥。

もっとも魅力と神秘にあふれたワンダーランドは、自分の中にあったというオハナシ(^^)。




極楽―宣言―

2009年6月18日(木) 

ガチガチ、コチコチに固まった我が腰と肩の筋肉(人並みハンパではない(笑))を、これから如何にしてユルユルにゆるめていくか。

それが齢五十を超えたオジサントンボの今後の主要課題でござる。

楽しみなチャレンジでおじゃる。

この世の楽しみは、チャレンジと実践と工夫の中にある。



極楽レポート―ああ、快感―

2009年6月17日(水) 

仕事の合間に、両肩をゆっくり回しながら肩甲骨を意識し、背中や胸の筋肉をゆるめる動きをやっていた。

繰り返し、繰り返し続けていたら、ある瞬間、胸の奥の方から背骨を通って、脳天に向かってジーンという感じの得も言われぬ快感が昇ってきた。

脳を含めた上半身のすべての細胞に快感液体がゆっくり染みわたっていくような感覚だった。

思わず、うっとり目を細めたくなるような気持ちよさだった。

ちと、驚いた。

こんなことがあるのか。

味をしめて、この後も続けて実践するうちに、やはり何度か同じ快感がわき起こった。

干上がっていた川に、にわかに清水が流れ始めるようなイメージが湧いた。

きっと日頃ほとんど使わない筋肉細胞を動かして、そこの血行が促進され、脳内に刺戟が及び、エンドルフィンやらドーパミンとやらが分泌されたのだろう。

以前、西野流呼吸法を実践している最中に似たような現象を体験したことがある。

「ゆる体操」を見よう見まねで始めた時にも、これほどの快感ではなかったけれども、日頃使わない細胞が動き始めたような感覚を覚えたことがある。

自分のカラダこそが、もっとも身近で未開拓で神秘の自然かもしれない。

あらためて、そう痛感した極楽トンボ。

それにしても・・・・

気持ちエガッタぁ〜〜〜(^^)



極楽独白―興味関心―

2009年6月16日(火) 

興味の持てないことを無理に勉強する必要はない。

本当に興味あることに打ち込めば、そんなヒマはなくなる。

自分の中から自然に湧き上がる興味・関心は、それが繰り返し浮上するものほど、今生のテーマに直結しているのだろうな。

トンボの場合は、それがここのところにわかに明確になってきた。

それは・・・・・・

意識と体と言葉。

その仕組みと法則と相関関係。

自分を実験体にし、モニターしながら、こいつを探求していきたいのだよん。(^^)



極楽感想―和解―

2009年6月15日(月) 

空海の誕生日の今日、天台宗・比叡山延暦寺のトップ半田孝淳(はんだ・こうじゅん)座主(ざす)が、高野山金剛峯寺を訪れた。

経典の貸し借りをめぐる空海と最澄の有名な対立以来、両宗の公式交流は1200年ぶりのことという。

空海の生誕を祝う「宗祖降誕会(ごうたんえ)」に出席し「奥の院」に参拝した後、にこやかに歓談する真言宗の松長有慶(まつなが・ゆうけい)座主と天台宗の半田孝淳座主の姿がニュースで放映された。

手を取り合い、抱き合わんばかりの両者の様子には、ポーズやお芝居ではない、本当に溢れ出すような歓喜が感じられた。

このただならぬ、手放しのような歓喜の背景には、当事者しかわからない歴史や背景やいきさつが、おびただしく横たわっているのだろう。

あちらでも空海さんと最澄さんが同じようにハグハグしているのかな。

この和解は何のシグナルなんだろう。

そりゃあ、もちろん「対立構造の世界の卒業」でしょうな。

いつまでも争っている場合じゃないよ、と。

さすが、ニッポン。

なんにしろ、めでたいこった。(^^)



和解



極楽のつぶやき―あな、はずかし―

2009年6月14日(日)

自分が正しいとか、正義だとか、まともな知性と見識をもった大人だったら、気恥ずかしくて口にできないよな。

最近テレビに登場するオエラさんたちは、本当に首をかしげたくなるような人ばかり。


「正義をかざすと、争いになる」

(曹洞宗 御誕生寺 住職 板橋興宗氏の言葉)



極楽得心録―言葉と意識と心がけ―

2009年6月13日(土) 

意識して意識すれば、そこに意識が立ち上がる。

毎日心がけて意識すれば、やがてそこに意識が定着する。

心とカラダの可能性を開拓していくのは、やはり「心がけ」と意識的実践の継続。

そして、それを先導するのが「言葉」。


意識



極楽感想―弾むオトタマ―

2009年6月12日(金) 

今注目の的の、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した盲目のピアニスト辻井信行さんの演奏いいですねえ〜。

ニュース報道などでさわりの部分を聴いただけですが、トンボの胸を揺るがすものがありました。

音楽する悦びでピアノの音が弾んでいる。

インタビューの受け答えから感じられる当人の性格の素直さと瑞々しい歌心が、その演奏にも余すところ無く表われているような印象を受けました。

高校生の頃にウラディミール・アシュケナージのピアノ演奏を初めてレコードで聴いた時のことを思い出しました。

音が豊かで、多彩で、俊敏で、よく歌うピアノ。

逸材です。

無礼で無神経なマスコミにもみくちゃにされて、ご家族共々つぶされないことを心から祈ってます。


辻井信行



極楽感想―マスコミちゃん、さようなら―

2009年6月11日(木) 

「絶対に許さない」・・・か。

苦しみや怒りや悲しみのリアルは、その当人にしか、それこそ絶対にわからない。
周りがとやかく騒いでも何の足しにもならないどころか、かえって事態をこじらせる。

騒ぎ利用するマスコミ。
そして当人の言葉や態度を演出しているフシの見える周囲の関係者。

最近のニッポンは、いやマスコミはというべきか、すべての出来事を三流ドラマのように演出したがる。

見ていて居たたまれないものがある。

怒りや苦しみを蒸し返せば、それは増幅され持続する。

すべてをきれいさっぱり水に流し、好きなことのできる自由と喜びにフォーカスしていく道もある。

どちらを選択するかは当人の意志。

いずれにしても、余計なお世話は愚の骨頂。

マスコミと縁を切るこった。


極楽近況―カラダ記念日―

2009年6月10日(水) 

中古の一台を買い込んで、先週から自転車通勤を始めた。

水前寺公園近くの整体院まで約25分の所要時間。

自転車は高校生の頃以来だから、約30年振りのことだ。

風を切り陽を浴びながら、エッチラホッチラ朝夕道路を走る。

かなり、キモチイイ。

なんちゅうか・・・

この世界に確かに生きている実感がわく。

仕事で体を使い、通勤でも体を使う。

どうもやはり・・・

ワタクシは、アタマを使うよりカラダを使うことの方が向いているみたいだ(笑)。


極楽仙人のお言葉―心がけ―

2009年6月9日(火)  

大切なのはやはり何といっても毎日の「心がけ」じゃなあ。

仕事であろうがなかろうが、カネになろうがなるまいが、今していることを、丁寧にきっちりと誠実にやるクセをつけることじゃよ。

それさえ心がけて毎日実行していれば、必ず自分の中にある何かが開け、伸び上がっていく。

これが本当の王道じゃ。

能力や才能や天分などという言葉に惑わされぬことじゃ。
なまじそんなものにとらわれると道をはずしやすい。

みょうに要領がよかったり小器用な奴は、ちょいと油断するとすぐ思い上がって、いろんなものに目移りしていく。
器用貧乏というじゃろう。

愚直なくらいでちょうどいい。
馬鹿正直に一所懸命やる奴は、たとえ不器用で鈍重に見えても必ずどこかでグンと伸びる。

誠実で一所懸命な奴は、はたから見てても清々しくキモチイイじゃろう。
その感覚に、大事な仕組みと法則が秘められておるのじゃよ。

ヘタに効率や要領や採算ばかり追いかけていると、足をすくわれるぞ。

神の計らいは奥深いのう〜。

ふぉーほっほっほっほ・・・・・・。


仙人



極楽実感―意識と体と言葉―

2009年6月8日(月) 

極楽トンボもついこないだ経験したばかりだが、悩ましい痛みが一ヶ月以上も続くと『ひょっとしてこの痛み、一生続くんじゃないか・・・』と不安になってくる。

つい弱気になり、日頃は敬遠している病院や薬や注射に頼る発想がアタマに点滅し始める。

この極楽トンボも例外ではなかった。

春分の頃に発生した右脚付け根奥の痛みが一ヶ月たっても消えず、歩行困難が続くと、さすがにこれは何か深刻な原因があるのではないか、ひょっとするともう一生まともに歩けないのではないかという脳天気オトコらしからぬ不安と怖れが頭をもたげ始めた。

痛みの最盛期に母の四十九日法要が重なり、やむなく二本の杖をついて体を折り曲げながら、やっとのことで務めた。

驚いた親戚達からいろいろたずねられ、病院には行っていないことを告げると皆アキレていた。

その後、発症してから一ヶ月たっても痛みが去らない日々のさなか、『病院に行って検査だけでも受けてみようか』という考えが何度かアタマをよぎった。

しかし、極楽トンボは踏みとどまった。

病院に行けば検査の結果、ナンチャラカンチャラという病名を付けられ、痛みをごまかす化学薬品をカラダの中に送り込まれるのは目に見えていた。

それはもう絶対にしたくなかった。

いやそれどころか、手術などというおぞましい手段を強要されるやも知れぬ。

とんでもない。

極楽トンボの現代医療に対する疑念と不信は、やはり筋金入りだった。

この痛みそのものは、昨年の登山で痛めた筋の後遺症だが、母の死や、諸々のストレスが重なって、免疫力が低下しているところに再発したものであることは検討がついていた。

体をゆるめ休養させ、深い呼吸を繰り返し、きれいな水を多めに飲み、回復を促す言霊を繰り返しながら、健康体を取り戻した自分の姿へ意識を統一していけば、やがて必ずそうなると信じて毎日実践した。

結果、発症してから約四十日たったころから徐々に痛みが薄らぎ、五十日目にはほぼ全快した。

とうとう最後まで現代医療のお世話にならずにすんだ。

たいていの体の不調は、呼吸と水と意識を用いて自分で改善できるという、かねてからの持論をあらためて確認する絶好の機会になりやした。(^^)

その後、整体名人の老師との出会いがあり、今は大勢の人のカラダの痛みと向き合う日々。

意識と体と言葉。

その相互作用と仕組みと法則への興味は、やはり極楽トンボの一生をかけて追い求めたい最大のテーマだな。



極楽の独り言―体験ゲーム―

2009年6月7日(日) 

喜びの雛形というものは、子供の頃にすでに与えられていますよね。

今している遊びに夢中になって時間を忘れる喜び。

新しい友達と仲良くなれた喜び。

きのうまで出来なかったことができるようになった喜び。
そしてそれをお父さんお母さんや周囲の大人に誉められる喜び。

長じるにつれてこういう「喜びの原型」のようなものをどこかに忘れ去ってしまう。

比較したり競争したり、過去と照らし合わせたりといったマインドの作業にかまけて、ピュアな喜びを満喫する機会が激減する。

いつも評価や人の目を気にしている。

いつも何かが気になって、目の前のことに夢中になれない。

やがて、疲労とストレスの中で「癒し」なるものに救いを求めるようになる。

これってやっぱり、ちと病的ですよね。

余計なことを考えずに自分の好きなことに夢中になって喜びを味わっている人は、重い疲労感やストレスとは無縁。

子供は「癒し」なんぞ必要としない。

「そうは言っても大人は大変なんだ、世の中そんな甘いもんじゃない」とつぶやく心が、実はそういう状況を創り出していくというカラクリ。

ま、すべては体験。

どっちでもいいじゃないですか。

はいはい、そうそう、んだんだ。


極楽認識―継続のチカラ―

2009年6月6日(土) 

自分のマンネリパターンを打ち破り、確実な変化をもたらすのに必要なものは。

一念発起?

それは当然ですな。

強い意志?

それがなければ無理でしょうが、あんまり気張るのもねえ・・・。

行動計画?

まあ、ないよりあった方がいいかも知れませんな。

しかし、なにより必要なのは・・・・

「毎日の心がけと実行と継続」の習慣化。

バカみたいな話でスンマセン(笑)

しかし、この当たり前にして地味なことを続けるのが簡単ではないから、自己改造は容易なことではないんですな。

毎日「意識する」こと、実行すること、何週間も何ヶ月も継続すること、つまり習慣化することは、できそうでなかなかできない。

だからこそ、それを実践し続け、成果を実感したときの悦びは、極上の果実の味わいなんでしょうな。


極楽実感―究極の実験―

2009年6月5日(金) 

自分の意識とカラダを使った毎日のフィットネス、エクササイズ。

その微妙な変化や現象を日々記録し、自ら体感、確認していく。

こんな面白い「実験」がほかにあろうか。(^^)



極楽実践道―整体術のエッセンス―

2009年6月4日(木) 

生体・意識体を相手にしていることをはっきり自覚してことに臨む。

だから、コミュニケーションがとても重要になる。

その第一歩は「声かけ」。

「○○さん」と名前で呼びかける。

名前を呼び、名前を呼ばれた瞬間から、相手と自分の間に意識の連絡通路が形成される。

これから相手のカラダに施すことをかいつまんで伝える。

相手はその様子をイメージし、カラダの該当部分に意識を向ける。

この瞬間に、いわゆる「心の準備」ができる。

いきなりカラダに触れられるショックが無くなる。

意識がその部分に行っているので、施術の効果も高まる。

そして、相手がこちらの次の動きを予測しやすいように、ゆったりとした同じリズムとテンポでポイントを移動していく。

相手の反応を見ながら、臨機応変にゾーンを移す。

やがて、こちらのカラダの動きと相手の反応が同調し始める。

施す者と、施される者の意識とカラダのジャムセッションのようなものだ。

言葉と意識とカラダの動きの三位一体と、その融合。

そういう意味で、セックスと整体術は本質的に似ているかもしれない。

肝心なのはコミュニケーションと相手への思いやり。(^^)



極楽モノローグ―身体考―

2009年6月3日(水) 

人間の身体、中でも自分の身体というのが、自然の造形物の中でももっとも興味深く未開拓の神秘の殿堂かもしれないな・・・・・・。


人体


極楽日記―自然の音―

2009年6月2日(火) 

相棒を伴い即興ピアニストの今井てつ氏と打ち合わせのため奥阿蘇の南小国へ。

お昼はマゼノ渓谷のある南小国山中に車をとめ野外ランチ。

相棒手製のおにぎり弁当とお吸い物をいただく。

遠くになだらかな丘陵が広がり、緑の草原に囲まれてのお弁当。

こういう中で食べるシンプルなおにぎりやウインナーは、どうしてこうもウマイのか。

きれいな景色と空気の中で、そのウマサがカラダ中の細胞にしみわたっていくような気がする。

明るい初夏の陽光があたり一面に降ってくる。

聴こえてくるのは野鳥のさえずりと風の音だけ。

心の中までしんと静まる。

お日さまのもと、自然の景色と音に囲まれ、自分も自然の一部に帰っていく。

南小国・野風ムラでのてつさんとの打ち合わせも同じようなシチュエーションになった。

打ち合わせ場所となったコテッジの窓外には緑の樹木や草が明るい陽光に輝き、聴こえてくるのは鳥たちのさえずりと風の音、そして、てつさんの静かな語り口。

眠くなる。

自然の音は最上のゆりかご。


野風ムラ



極楽目撃レポート―名人の技―

2009年6月1日(月) 

朝から急遽予約の電話をかけてやって来た三十歳前後の若奥様。

腰痛でカラダを折り曲げながら、歩くのがやっという状態で半泣きで現れた。

長老名人とその一番弟子(残念ながらワタクシではありません(笑))がひとしきり施術。

若奥様、時折うめき声をあげて痛がる。

そして約三十分後。

来た時にはうつぶせにもなれなかった奥様が、名人の誘導に合わせてしゃがんで立って、そして歩き出した。

若奥様、驚きと喜びで目を丸くし、表情が来たときとは別人のように輝き出した。

明るい声で何度もお礼を言いながら弾む足どりで帰っていった。

名人の技、おそるべし。

一部始終を目の当たりにして、師匠の技に感嘆する極楽トンボ。

そして、ふとアタマをよぎった感懐。

それは・・・・・・。

痛みとお金の問題から解放されたら、人類の悩みの大半は雲散霧消してしまうのではなかろうか、ということ。



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