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とるトンボ

Author:とるトンボ
太陽系第三惑星のニッポン国・九州アイランドの中央付近に生息する極楽トンボな男。

地球生活半世紀を過ぎても、なかなかこの地の文化になじめず、周囲から「カワッテル」と評される自分の感覚を、ブログで発信してみようと思いたつ。
だから、地球生活の「当方」見聞録(^^)

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極楽ものろーぐ 「檻とカラダとローフード」

2009年11月7(土)  

<ネガティブの代表者たち>
国会中継を見ていられない。
議論や質問というよりも、イビリ、イジメ、イヤガラセ、ナンクセイチャモン、揚げ足取りといったエネルギーが議場一杯に充満していて、思わず目をそむけたくなる。
現代日本社会のネガティブな側面の縮図を見ているよう。
政治家達が社会のネガティブを代表しているというのも皮肉なもんだ。
子供達には見せたくない。

<目的と機能>
そのことの本来の目的と機能は何なのかを、いつも根本から再確認する習慣をつけておくことは、とても大事だな。

<いつか>
宇宙船、天空に満つる日。
???

<エネルギーを見る>
「明日起きる巨大な変化の前兆は今起きている。カタチが生まれる前のエネルギーの動きに目を向けることが大事だ」
と、藤原直哉が言った。

<ローフード>
朝も昼も、水と野菜と果物で過ごすと、午後から心身が爽快になってくる。

<オリの中シンドローム>
無意識のうちに、ある一つの「枠」の中に自分を閉じこめてしまう。
これ、現代人に共通する病弊かも。

<体主霊従>
カラダにはたらきかけて、自分のココロや意識を調整していく。

<試み>
書き慣れた自分の名前を、毎朝右手と左手で書いてみる。
もう一人の自分がいるみたい(^^)。


極楽観測 「ステキな男たち」

2009年11月6(金)   

ニューヨークヤンキース、ワールドシリーズ優勝。

松井秀喜が六打点の大活躍でMVPに輝く。
一世一代の晴れ舞台と栄光の時。

めでたし、めでたし。

野球にはすっかり興味を失って久しいが、松井には以前からとても好感、共感を覚えてきた

巨人退団の時の会見がよかった。

人としての誠実や生真面目が、その態度、言葉、表情からにじみ出ていた。

同じ野球の天才でも、江川やイチローとは、その人柄の質が大きく異なる。

以来、テレビでその姿を見るたびに心の中で応援していた。

いい嫁さんを探してやりたいと思っていたら、知らぬあいだに結婚していた(笑)。

コイツとなら一緒に酒を飲んでもイイ、なぞと勝手なコトを考えていた(笑)。

オツカレサマ、とポンと肩を叩きたくなるような男。

それにしても・・・

スタンドで観戦しているお父さんが、松井とおんなじように唇の端を引き締めるしぐさをしていた。(笑)

そして・・・

フィリーズの最後の打者が、あきらかな凡打にもかかわらず、一塁へ最後まで全力疾走する姿が、やけに印象に残った。

一所懸命なステキな男たちに、「乾杯!」


極楽日記 「笑顔と感謝のキャッチボール」

2009年11月5(木)   

きのうの夕方、暗くなりかけた頃に店の窓の外に軽トラが停まり、人影が動いた。

あれ、飛び込みのお客かなと思って窓を開けると、先日ご夫婦で整体を受けに来てくれたNさんのご主人の笑顔があった。

畑で採れた里芋を持ってきてくれた。

エレン水というスペシャルな水で育てた里芋くんたち。
その美味しさは何度か体感している。
野菜そのものの旨味、甘みを全細胞にしみじみと想い出させてくれる逸品だった。

それが袋の中にひしめいている。

喜びと感謝のエネルギーが胸の奥から湧き出した。

スタッフの女性にも進呈してくれた。

そして、先日の整体のあと、奥さんがすみやかに眠りにつけたことを報告してくれた。

笑顔と感謝のキャッチボール。

駐車場から出て行く軽トラを何度も頭を下げながら見送った。

その姿が見えなくなるまで。


極楽のふと思い 「原点回帰」

2009年11月4(水)  

長い間封印されてきたものが、表に出てくる流れ。

日本の歴史もまた、目をむくような事実が覆い隠されてきたのだろう。

クニトコタチ。
縄文。
出雲。
熊野。
スサノオ。
ニギハヤヒ。
エミシ。
アテルイ。
アラハバキ。
アイヌ。
カムイ。
クマソ。
ハヤト。

自然と祀ろうミタマたち。

惻隠の情を持つミタマたち。

日本人の心の原点に生きるものたち。

極楽のつぶやき 「カンタンな法則」

2009年11月3(火)  

<建設的>
劣悪なもの邪悪なものに意識を向けるより、今や数少ない(笑)、尊いもの、優れたものに意識を向ける方が、より「建設的」だと思うようになった。

<王様になる>
自分という王国。
誰もが、その気になりさえすれば、自分という王国の素晴らしい王様になれる。

<慈しむ世界>
一つ一つを慈しむ。
一点一画を慈しむ。
一瞬一瞬を慈しむ。
そうすれば、
慈しみに満ちた世界が、そこに出現する。

<快適の秘密>
カラダが柔らかくなればなるほど、日常のあらゆる局面が「快適」になっていく。
こんなカンタンな法則に、半世紀も気づかなかった(笑)。

<反芻の悪魔>
怒り、苛立ち、悲嘆、不安を反芻し続ければ、自分自身のココロとカラダをどんどん蝕んでいく。
こんなカンタンな法則に、半世紀も気づかなかった。

<歓ぶカミ>
喜び感謝することは、そのような局面をますます引き寄せる。
こんなカンタンな法則に、半世紀も気づかなかった(笑)。

<饗宴としての人生>
「ポー川のひかり」
とてもいい映画だった。
イタリア映画の秀作を見るたびにいつも思う。
「人生は、みんなで飲んで食べて、歌って踊って、楽しむためにある」
極楽トンボの理想の世界だ(^^)。

<目覚めと希望>
世界中がダマサレていた。
今は、その悪夢から覚める時。
いつも希望は、目覚めた「今」にある。

<地上天国>
赤ちゃんが笑っている。
抱いている母親が目を細めている。
それを見る人々も目を細めている。

<退化するヒト>
現代文明の「便利」と「楽ちん」に無自覚にゆだねていると、カラダもアタマもどんどんその機能が退化していく。
これが、もっともモッタイナイ「宝の持ち腐れ」。

<水の浄化>
透明な水が流れ踊る清流を見ると、
自分の心身まで浄化されていくような気がする。

<農村の癒し>
農村の田んぼの「掛け干し」の風景。
どうしてこれほど、「心のどか」にしてくれるのだろう。

掛け干し

<食の神秘>
ローフード。
そこに潜在している驚きの可能性。
食べ物が人の心身に及ぼしている影響は、ふつう考えられているよりはるかに大きい。

<わが漢字検定^^>
騙す(だます)。
イザとなると書けない漢字、いっぱいあるよなあ〜。

<天上の音楽>
メジャー・セブンス・コード。
歓びと安らぎに満ちた音の世界。

極楽追想 「リヒテル再会」

2009年11月2(月)  

YouTubeは宝の蔵だという意味のことを以前ここで書いた記憶があるが、いつのまにか自分でもそれを忘れてしまい、何かの拍子にまたハタと宝に出くわし、あらためて驚喜することになる。

スビャトスラフ・リヒテル。

トンボ十代の後半にもっとも感応したピアニスト。
何枚ものレコードのみならず、伝記本や写真集まで持っていた。
その演奏のダイナミックと繊細の共存は、若き極楽トンボの心を深く捉え、時空を超えた世界へ何度も連れていってくれた。
我が若き日の音楽の旅を案内し、彩ってくれた「格別のオジサン」的存在だ。

きのうネット中に、ふとしたきっかけで、ああそういえばリヒテルの演奏もあるだろうなと思い、YouTube検索したら、あったあった、いくらでもあった(^^)。

ショパンのバラードや、バッハのプレリュード、べートーベンからラベルまで、よりどりみどりだ。

さっそく、その中のいくつかを聴いてみた。

たちまち、昔年の感触が蘇った。

壮麗な宮殿の傍らに、繊細で美しい小川が流れている。

『やはり、モノが違う』

近年、トンボが桁外れにスグレた人や作品を評するときの常用フレーズが脳裡に浮かんだ。

モノが違うのだ。

トンボの耳には古今の様々な天才的ピアニストたちとも決定的に違う何かが、感じられる。

その「何か」とは何か。(^^)

白洲正子は、小林秀雄や青山二郎にしごかれていた時に、「一番言いたいことは、決して書いてはいけない」と教わったそうだ。

一番言いたいところであえて黙っていると、人はそれを「感じる」ものだ、と言われたらしい。

いかにも、らしい(笑)

この禅問答的コンセプトが小林や青山の世界の真骨頂だ。

「何かを語ろうとする衝動を抑えがたく、しかも、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ」

『モオツアルト』の中で、小林秀雄はそう書いた。

それに倣って・・・

リヒテルの「何か」は、あえて書かないでおこう(笑)。


極楽報告 「整体ホームページ開設」

2009年11月1(日)  

今日から11月。

今年もあと二ヶ月。

どんどん加速していく時間。

一寸の光陰の中に、光明あり。

「今」をかみしめながら生きる者に、福音あり。



今年八月にオープンした整体ルームのホームページができました。

極楽整体ゆるる

イシキとカラダを調整する、極楽のスペースです(^^)。


極楽のつぶやき 「言葉と意識と整体と」

2009年10月31(土)  

<「書く」ということ>
文章にして「書いて」みなければ、自分が感じていることや思っていることの詳細はわからない。
だから、書いてみるのだ。
「書く」ことは、言ってみれば、自分自身の奥を発掘するような作業だ。

<ハマッテそうろう>
『バガボンド』、二十八巻まで読み終えた。
二十九、三十は図書館の返却待ち。
映画でもドラマでも、殺しや暴力のシーンが嫌いで、その種の作品は極力避けているトンボが、この人斬り達人の物語だけは、久々にドップリはまっている。
何がこれだけ自分を引きつけているのか、今はハッキリわからない。
井上雄彦の絵の魅力にあることはモチロンだけど、それ以上の何かがある。
おそらく、「求める者」への共感めいたところにそのキモがあるのだろうが・・・。
いつか気が向いたら「書いて」みよ(^^)。

<極楽自慢噺>
「スゴイですね。これだったら一日に何人もはできないでしょう?人間の「手」でしかできない技(わざ)という感じですね・・・」

きのう整体を受けたお客様の感想。

ムフフフフ。

<意識の自由>
自分の意識をどこに向けるか。
何に向けるか。
これだけは、全幅の権利が自分自身にある。

<ごくら句>

水鳥や みなもに浮かぶ 忍者かな    蜻蛉

道行けば ヒラリ横切る ツバメどの   蜻蛉

<言葉の手触り>
机上の学習や編集からアタマの中を操作してひねりだした言葉と、実際の体験実感から生まれてきた言葉とは、その手触り感触に大きな違いがある。


<セッション>
その対象とじっくり向き合う。
じっと見つめる。
そのヴァイブレーションを静かに感じてみる。
語るべき何かがあるのなら、アタマで考えなくとも、そこに言葉の表現を求めるエネルギーが発生する。

<あな、むなし>
採算が合うか合わないか。
経済的に成り立つか成り立たないか。
そんな基準ばかりを気にしなければいけない世界なんて・・・。
むなしいッス。


極楽放言録 「ウロウロ、バタバタ、オロオロ」

2009年10月30(木)  

○ソーレ、あっちにいけばモーカルぞ。
ソーレ、こっちに来ればモーカルぞ。
数字と儲けのドレイになった人たちは、世界をまたにかけて右往左往する。
そして得るものは、結局ナンナノカ。


○日航の経営難など氷山の一角。
デパート、メーカー、銀行、あらゆる巨大組織が経営的に成り立たなくなっている。
資本主義世界を席巻してきたような巨大銀行やメーカーが成り立たなくなっているということは、カネと大きな組織にモノをいわせる世界が終わりを告げようとしていることを意味している。
いつまでたっても、そのことに気がつかないか、気がつかないフリをしている人が多い。
独立個人、連携の時代。
小規模経営、連携の時代。
大量生産、大量消費狂騒曲の反省に立って、今日生きていることの貴重を皆で分かち合いながら、足るを知り、智恵と協調で新たな世界を築いていく時代がやってきた。


○権利だ家賃だと言っている場合ではない。
廃校になった小学校があちこちにあるのだから、ホームレスやフリーターを余儀なくされている人たちを共同生活させて、半自給自足的な農園コミュニティーをつくればイイノダ。
先生役を買って出る有志は、元気な六十代七十代にいくらでもいるはずだ。
こんなことを企画し実行していくのが行政の役割と智恵ではないのでショーカ?
できないイイワケばかり考えているヒマはないヨ。


○鳩山献金問題。
出る杭を打つ。
目立ち始めたヤツの足を引っ張る。
まるで、過去の遺物を見ているみたい。
ジミントーはもう、ホントーにオワッタという感じがする。


○道路にゴミ捨てて平気な人。
人を殴り、殺して平気な人。
ドーシテモそんなことはできない人。
この違いのモトをたどっていけば、何に行き着くのだろうか。
教育?環境?もしや遺伝子?
誰かこんな研究している人、いるのかしらん・・・


極楽モノローグ 「好奇心」

2009年10月29(木)   

あの人は、この人のことをどう思っていたのだろう、どう評価していたのだろう。

そんなことにとても興味がある。

我が野次馬根性。
好奇心。

たとえば、

小林秀雄と安東次男は、お互いをどう思い、評価していたのだろうか。

トンボが、文章の持つ力と可能性に初めて目が向いたのは、高校の時に担任の先生の影響で小林秀雄の文章を読んだのがきっかけだった。

「ヴァイオリニスト」という随筆の中のワンフレーズが心に食い込んだ。

言葉の表現の持つ「電圧」のようなものを感じた最初の体験だった。

以来、大学を経て社会人になってからも様々な文章に触れてきたが、強力な電圧を感じさせる文章には、あまり出会わなかった。

稀少な例外は、ジャズピアニストの山下洋輔のエッセイと、評論家山崎正和の文章くらいのものだった。

そうしているうちに、三十を過ぎた頃に、向井敏の『文章読本』で初めて安東次男の名前とその文章に触れ、強く印象に残った。

その言葉の呼吸、太刀使いに、達人の匂いを感じ取った。  

日本刀の名刀のごとき文章。

そういう印象だった。

それから、手当たり次第に安東次男の著書を読みまくった、ということはなかった(笑)。

元来の気まぐれ怠慢癖と不勉強は「網羅」をサボる。

言わば、三十代の頃にふとすれ違った「達人」の雰囲気を漂わせたもの書き。

それがトンボにとっての安東次男だった。

先日、久々に向井敏の『文章読本』を紐解いたら、ふたたび安東次男の文章が目の前で一閃した。

こんどはさすがに、図書館から安東本を数冊借りてきた。(笑)

まだ、読み込む前だが、ふと野次馬的好奇心が先行した。

「小林秀雄と安東次男は、お互いのことをどう思っていたのだろう」

昔、新潮社の『小林秀雄全集』を持っていたが、小林が安東次男に言及した文章は記憶にない。

誰かご存じの方がおられたら、教えてください。(^^)

ンナコト、ジブンデシラベロ!

ア、ハイ、スンマセン・・・・

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